宇宙からのメッセージ
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宇宙からのメッセージ
Message from Space
監督
深作欣二
脚本松田寛夫
原案石森章太郎
野田昌宏
深作欣二
松田寛夫
製作平山亨
岡田裕介
サイモン・ツェー
杉本直幸
伊藤彰将
ナレーター芥川隆行
出演者ビック・モロー
志穂美悦子
真田広之
成田三樹夫
千葉真一
音楽森岡賢一郎
撮影中島徹(撮影)
高梨f(特殊撮影)
編集市田勇
製作会社東映株式会社
株式会社東北新社
東映太秦映画村
配給東映[注釈 1]
公開 1978年4月29日
上映時間105分
製作国 日本
言語日本語
製作費10億円
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『宇宙からのメッセージ』(うちゅうからのメッセージ、Message from Space)は、1978年日本映画。1980年度・サターン賞の最優秀外国映画賞ノミネート作品。カラー・ワイド・ビスタ・サイズ

曲亭馬琴(滝沢馬琴)の読本南総里見八犬伝』(里見八犬伝)をモチーフにした和製スペースオペラ映画であり[1][2]東映東北新社と提携したうえで、当時の世界的なSF映画ブームに挑戦するべく製作費10億円をかけて製作した[3][4][5][6][注釈 2]
製作経緯
企画の変遷

1975年12月に日本で公開された『ジョーズ』の大ヒットを見た東映社長・岡田茂(当時)が矢島信男に「特撮ものを作りたい」と相談した[7]。しかし矢島はそのころ、何本ものテレビ映画を掛け持ちで担当しており具体的に動くことは出来なかった[7]。この『ジョーズ』便乗企画が[8][9]東映テレビ事業部渡邊亮徳平山亨のもとで引き続き検討され[7][9]、最初はテレビ事業部で、SF映画をアメリカとの合作で作りたいという構想であった[8][10][11]。この企画が『DEVIL MANTA SPACE MONSTER デビル・マンタ』として概要が固まった[9]。「マンタ」とは魚介類オニイトマキエイを指し、内容はエイに似た巨大宇宙生物が地球を襲いパニックになるという『ジョーズ』に便乗したモンスター映画であった[9]石森章太郎は『デビル・マンタ』について「それは侵略ものです。だからスペース・オペラではなく、地球が舞台で」と話しており、『デビル・マンタ』は宇宙が舞台ではなかった[8]。スタッフは、企画/平山亨、製作/渡邊亮徳、原案/石森章太郎、監督/佐藤肇、脚本/高久進・佐藤肇、企画協力・特撮監督/矢島信男という枠組みであった[9]。『宇宙からのメッセージ』で原案としてクレジットされている野田昌宏は、「スペース・オペラをやろうということが決定したときに、日本のSFの英知を結集しようと考えて、スペース・オペラの権威である彼に一枚かんでもらおうと加わってもらった」と石森が話しており、『宇宙からのメッセージ』で原案としてクレジットされている石森章太郎・野田昌宏、深作欣二松田寛夫の4人のうち、野田、深作、松田の3人は『デビル・マンタ』には関係していない[8]。石森は「ぼくは実際に原稿を書くのではないけれど、アイデアを出しているわけで、脚本は第6稿までに及んだわけで、その間にみんなの意見が入っているわけです」と話している

1977年夏にアメリカで『スター・ウォーズ』が大ヒットし、翌年夏の日本公開を控えてSFブームに沸いた[12]。日本の映画会社も、『スター・ウォーズ』が公開される前にこれにあやかろうと、東宝は1978年の正月映画として『惑星大戦争』を製作[12][6]。東映も『デビル・マンタ』を却下し[9]、「宇宙怪獣」ではなく「宇宙SF」に急遽企画を変更した[6][9][13][11]。岡田茂東映社長は、映画公開中のインタビューで「『宇宙からのメッセージ』は『スター・ウォーズ』の向うを張って製作したものです」とはっきり話している[14]。石森は『スター・ウォーズ』がアメリカで公開される以前の1977年春に「『デビル・マンタ』を止めて『仮面ライダー』を世界的な話にしたらどうか」など、別案が既に検討されていたと話している[8]

岡田社長は当時、年四本の一本立て興行および、760人いた東映の西撮影所の人員を400人まで減らす配置転換を実施し[15][16]、自社製作を減らして、その不足分を外部提携(外部活用)[17]で補おうとし[15]、外部提携を積極的に進める方針を打ち出していた[14][15][17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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