宇品
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この項目では、広島市南区の地名について説明しています。「宇品」の他の用法については「宇品 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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出典検索?: "宇品" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2024年2月)

宇品(うじな)は、広島市南区に位置する地区であり、ここでは「宇品」を町名に冠する地区の総称として用いる。旧広島県港湾事務所(旧広島水上警察署) / 1909年竣工で、宇品地区内に現存する建築物のなかでは最も古いものの一つである。広島市郷土資料館宇品陸軍糧秣支廠として建てられた
地理

広島県を流れる
太田川(厳密に言えば京橋川)の河口部に位置している。

南に広島のの玄関口、広島港がある。

隣接している地区

北側…南区
皆実町、南区翠(翠町)

南側…広島湾

西側…南区出島、京橋川を挟んで中区千田町、中区吉島

東側…南区丹那町、南区大河地区

歴史
宇品新開の造成

「宇品」という地名は広島湾頭の一島嶼の名称として歴史に登場する(宇品島 / 現在の元宇品。#地名と地誌参照)が、現在の宇品地区は、宇品築港事業1884年明治17年)着工)の結果造成された広大な新開地(埋立地)として成立した。1887年には、この「宇品新開」は広島区(広島市の前身)に編入され「宇品町」となった。さらに1889年11月に築港が竣工すると宇品島(当時は安芸郡仁保島村内)がこの新開地と地続きになった(宇品島は1904年2月、広島市に編入され同年10月には元宇品町と改称した)。
宇品の軍事基地化宇品地区に存在していたかつての国鉄宇品線宇品駅ホーム(1986年9月撮影 / 広島湾岸道路造成にともない撤去され現存しない)

1894年日清戦争が始まり広島(当時、山陽鉄道の西の終着点であった)が軍事拠点として注目されると、同年8月山陽鉄道により広島?宇品間に軍用鉄道が敷設(のちの宇品線)された。これにより宇品地区・宇品港には続々と兵員が輸送され、この地区は大陸進出の前進基地とみなされた。なお1894年に作られた唱歌「」(旗野十一郎・林柳波作詞、吉田信太作曲)は当時の宇品港の賑わいを歌ったものである。さらに1897年広島陸軍糧秣支廠1902年陸軍運輸部が設置されたことで、宇品の兵站基地化は決定的なものとなった。その後1911年には陸軍糧秣支廠に全国一の規模をもつ缶詰工場が建設されている。
市街地・工業地帯としての発展『概観広島市史』(1955年発行)の『広島の新開地発展図』。元宇品島東側の宇品新開地区は明治時代に、西側の宇品商港地区は大正時代以降に開発されたことが確認できる1930年頃の広島市の地図 / 宇品は右下(東南)に位置し、この時点では現在の出島がまだ埋め立て造成されていない。また広電宇品線の軌道の位置も現在とは異なる。さらに現在の広島競輪場の位置に「養魚池」があったことがわかる。1945年被爆後の広島市内の航空写真 / 壊滅し一面が白く見える市中心部と比べ宇品地区がほとんど無傷のまま残っているのがわかる。

一方、宇品地区は市街地としての発展も著しく、1915年大正4年)には、宇品線に続く第2の鉄道線として、地区西端(京橋川東岸)の土手沿いの道に広島電軌(広島電鉄の前身)の路面電車線が敷設され、のちの広島電鉄宇品線となった。この路線は1935年昭和10年)にやや東よりの宇品本通に移設され現在に至っている。1933年には錦華紡績の工場が宇品町東部(現・宇品東のマツダ宇品工場)に設立された。

また、主要な文教施設としては、1921年に(旧制)広陵中学校(広陵高等学校の前身)が現在の宇品御幸一丁目に設立(その後1973年沼田町に移転し、跡地は再開発され、みゆきプラザ(イオンみゆき店・みゆきパークマンション)になっている)され、1935年には広島女子専門学校(県立広島女子大学⇒県立広島大学の前身)が桜土手沿い(現・宇品東)に移転(現在地)した。
原爆被災

1945年8月6日原爆被災に際し宇品地区はその大半が爆心地から3km以上隔たった位置にあり、「半壊地区」とされているものの比較的被害が軽微であった。このため、宇品に駐屯していた陸軍船舶司令部(通称「暁部隊」 / 当時江戸家猫八丸山眞男らが所属していたことでも知られる)は被爆直後から市街地中心部での救援活動に中心的役割を果たした。
第二次世界大戦後の発展

敗戦後、かつての広大な軍用地・施設は民間企業・官庁などに払い下げられて民需に転換されることとなり、この地区に進出した施設のうち最大の企業であるマツダにより、1966年には東部の埋立地が造成された。また、戦前から進められていた地区西側の海面(京橋川河口)の埋め立ては戦後になって本格化し、現在の出島地区として造成された。1951年には金輪島が仁保町より宇品町に編入され、1968年には宇品町が宇品東・宇品神田・宇品御幸・宇品西・宇品海岸・出島に分割されほぼ現在の住居表示が確定した。近年の宇品地区は、再開発の目玉として多くの商業施設が建設・出店しているほか、地区の南端を通過する広島湾岸道路の造成にともない南部を中心に大きく街並みが変わろうとしている。
地名と地誌イオン宇品ショッピングセンター / 近年の宇品地区再開発を象徴する施設の一つである。

おおむね東部の工業地区(宇品東)、南部の港湾地区(宇品海岸)、西部の商業・住宅地区(宇品神田・宇品御幸・宇品西)に3大別され、これらに公園地区としての元宇品が加わる。
地名の由来
宇品(うじな)
「宇品」の地名は、この地区の南にある宇品島(現在の元宇品町)に由来する。宇品島はその形状が牛が伏せたようになっていたことから「牛ノ島」と呼ばれていたものが、「牛奈(うしな)島」⇒「宇品島」となったという説や、「広島湾内の島」を意味する「内ノ島」が訛ったという説がある。
宇品神田(うじなかんだ)
町名は築港後
牛田から移転してきた神田神社(後述)に由来する(その後同社は現在地の宇品御幸に再移転)。


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