宇佐見真吾
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宇佐見 真吾中日ドラゴンズ #39
2023年8月9日 横浜スタジアム
基本情報
国籍 日本
出身地千葉県松戸市
生年月日 (1993-06-04) 1993年6月4日(30歳)
身長
体重181 cm
88 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション捕手一塁手
プロ入り2015年 ドラフト4位
初出場2017年8月8日
年俸4100万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


柏市立柏高等学校

城西国際大学

読売ジャイアンツ (2016 - 2019)

北海道日本ハムファイターズ (2019 - 2023)

中日ドラゴンズ (2023 - )

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
日本
ユニバーシアード
2015野球

宇佐見 真吾(うさみ しんご、1993年6月4日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手捕手内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。
経歴
プロ入り前

幸谷小学校在籍時に二ツ木ソフトボールクラブ(現:二ツ木・幸谷ツインズ)でソフトボールを始め、他にもサッカー少林寺拳法も小学生時代に経験[2]小金南中学校では軟式野球部に所属した。

柏市立柏高等学校では2年夏にベスト8。2年秋から正捕手になり、森和樹とバッテリーを組む。3年夏は5番打者として出場するも、4回戦敗退。甲子園に出場することはなかった。その他のチームメイトに船越涼太がいた。

城西国際大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。1年秋と2年春にベストナインを受賞。4年は主将になるが、春は代表合宿中に練習で顔面にボールが当たり、その際に顔面の3ヶ所を骨折したため選手としては欠場[3]、コーチ登録でベンチ入りした[2]。この時の負傷により左目に外傷性白内障の症状を発症させてしまった[4]

2015年夏季ユニバーシアードの野球日本代表に選出され、金メダル獲得に貢献した[5]

2015年10月22日に行われたドラフト会議読売ジャイアンツから4位指名を受け、契約金4500万円、年俸800万円で契約した[6]
巨人時代巨人時代
(2017年、ほっともっとフィールド神戸にて)

2016年は、二軍でチーム3位の41試合(捕手36試合)に出場するも、大学時代の顔面骨折の影響で左目の視力が低下したことなどがあり、イースタン・リーグワーストタイ6捕逸を記録し、打率も.198に終わる。1年目の6月に二軍首脳陣の勧めもあり、左目の外傷性白内障の手術に踏み切った[4]。11月25日から台湾で開催されたアジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜に選出された[7]

2017年は、春季キャンプで一軍スタートとなったが4月に右手有鈎骨を骨折。手術を行った後に二軍で試合に復帰し、8月8日の阪神タイガース戦(東京ドーム)で一軍に昇格すると[5]、代打として公式戦初出場。藤川球児から初打席初安打を記録[8]。8月18日の横浜DeNAベイスターズ戦(東京ドーム)では延長10回裏に砂田毅樹からプロ入り初本塁打をサヨナラ本塁打で達成した[9]。このプレーで8月度の「月間アットホームヒーロー賞」を受賞した[10]。8月25日の阪神戦(東京ドーム)では「8番・捕手」として一軍では初めてとなる先発メンバーで起用されると、青柳晃洋から2点本塁打を放った[11]。9月5日に行われた中日ドラゴンズ戦(松本市野球場)では途中出場し、2点ビハインドの9回裏二死一塁で打席に立ち、クローザーの田島慎二にあと1球と追い込まれながらゴルフのようなアッパースイングで同点本塁打を放つ。オフの10月12日に第1回アジアプロ野球チャンピオンシップ日本代表に選出されたが[12]、怪我のために辞退[13]。また、巨人V9時代の正捕手である森昌彦が背負った背番号27への変更が内定したと報道され[14]、12月7日に正式に変更が発表された[15]

2018年は、29試合の出場で打率.104、3打点に留まる。オフにFA入団した炭谷銀仁朗が西武時代の背番号「27」を用いることが決まり、背番号は32へ変更となった[16]

2019年は、小林誠司大城卓三、炭谷とライバルが多く、さらに左の代打にも捕手登録の阿部慎之助がいたため開幕一軍を逃し、3試合の出場に終わる。
日本ハム時代北海道日本ハムファイターズ時代
(2019年9月12日 東京ドーム

2019年6月26日に藤岡貴裕鍵谷陽平とのトレード吉川光夫と共に北海道日本ハムファイターズに移籍[17][18]。これは令和における日本プロ野球(NPB)初のトレードによる移籍であった[19]。6月28日に入団会見が行われ、背番号を30とすることが発表された[20]。また同日に出場選手登録がなされ、会見後に行われた対福岡ソフトバンクホークス9回戦(札幌ドーム)に途中出場を果たしたが、ユニフォーム等の作成が間に合わず、實松一成捕手兼二軍育成コーチのユニフォーム及びキャッチャー防具を着用した[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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