宅間 守
生誕1963年11月23日[5][6][7]
日本 兵庫県伊丹市[8]
死没 (2004-09-14) 2004年9月14日(40歳没)[4]
日本 大阪府大阪市都島区友渕町(大阪拘置所)[4]
死因刑死(絞首刑)
墓地無縁仏
国籍 日本
別名吉岡 守(死刑執行時の姓名)[4]
教育中卒
罪名殺人罪
刑罰日本における死刑(絞首刑)
動機社会への憎悪
有罪判決死刑(確定:2003年9月26日)[1]
国 日本
都道府県大阪府
死者8人
負傷者15人
凶器出刃包丁(刃体の長さ約15.8 cm)[2]
逮捕日2001年6月8日(現行犯逮捕)[3]
収監場所大阪拘置所[4]
宅間 守(たくま まもる、1963年〈昭和38年〉11月23日 - 2004年〈平成16年〉9月14日)は、日本の無差別殺人犯。2001年(平成13年)6月8日に発生した附属池田小事件の犯人である[4]。殺人罪などに問われ、2003年(平成15年)9月26日に死刑判決が確定[9]、2004年9月14日に大阪拘置所で死刑を執行された(40歳没)[4]。 宅間は兵庫県伊丹市の工場街にある工員家庭の家に生まれた[10]。小学校時代の宅間は担任教諭から手を焼く乱暴者で悪質ないたずら小僧と言われ、たびたび問題行動を起こし、幼稚園入園前は三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、大きい石を投げて相手にけがさせる、走っている列車に向かって石を投げる、線路に石を置く悪質な列車妨害、弱いものいじめ、暴力行為を行ったりしていた[11]。小学生時代のあだ名は『ゴン太くん』であり[12]、犬や猫などの動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害したこともあった。小学校卒業後も問題行為はエスカレートし、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるという[13]。大人しくもなく、これらの悪事を繰り返す一方で、他人との協調性は極端に低く、悪仲間との徒党を組むこともできなかった[14]。 小学5年生の時、同級生の女子からパイロットのおじさんの話を聞いて憧れる。その頃、大阪教育大付属池田校の存在を知り、勉強するようになるが、父親は「教育大付属中に入る子は小さなころから、家庭教師を付けとる。うちは機械工やから違うんだぞ」と諭した。成績は悪かったが、折れることもなく、中学に願書を取りに行くと、願書には内申も必要であった。願書を家に持ち帰り、受験は保護者同伴と母親に伝えると、「そんなん通るはずがないのに受けるだけ無駄や」と突き放され、受験を諦めた[15]。小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入るぞ?」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていたりしたこともあり、高校生になっても周囲の同級生に「俺は自衛隊入るからお前らとはあと少しの付き合いや」と発言していたこともあったという。また、高校時代に停学処分を受けた際、反省文にも「自衛隊は内申書一切関係なしの一発勝負」などと綴っていたこともあった[注 1]。宅間は幼いころから「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた[16]。
経歴
生い立ち
初犯と精神科病院への入院