そん まさよし
孫 正義
生誕 (1957-08-11) 1957年8月11日(66歳)
佐賀県鳥栖市
住居東京都港区
国籍 日本
出身校カリフォルニア大学バークレー校
経済学部
(Bachelor of Economics / 経済学士)
職業実業家
投資家、資本家
活動期間1979年 -
肩書きソフトバンクグループ株式会社
代表取締役会長兼社長
子供2人
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孫 正義(そん まさよし[1]、朝鮮語:???[2] ソン・ジョンウィ[3]、1957年〈昭和32年〉8月11日 [4]- )は、佐賀県鳥栖市出身の実業家、資本家、投資家[5]。本貫は一直孫氏[6]。
ソフトバンクグループ株式会社代表取締役会長兼社長[7][8]、ソフトバンクグループジャパン株式会社代表取締役、ソフトバンク株式会社創業者兼取締役[9]、福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役オーナー[10]、ARMホールディングス取締役会長[11]、公益財団法人自然エネルギー財団会長[12]。 在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。4人兄弟であった。いわゆる通名は「安本正義」[13]。なお、孫は自身のTwitterで、自分が日本に帰化していることに言及している[14]。 孫は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごした[15]。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と佐野眞一のインタビューで述べると共に、父親の三憲が密造酒製造販売以外にも消費者金融、パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている[15][16]。 北九州市八幡西区相生町に転居後、北九州市立引野小学校を卒業、北九州市立引野中学校に入学。福岡市に転居して福岡市立城南中学校に転入。 1973年に久留米大学附設高等学校に入学[17]。高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し[要出典]、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学[18]。 1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、2月に渡米し米国ホーリー・ネームズ・カレッジ
経歴
出生・幼少期
高校・大学時代
1977年、カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3学年に編入学[21]。そして1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に[22]、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入し、米国で販売した[23]。
1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業した[24]。 1980年、日本に帰国しコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多区雑餉隈で興す。そして1981年、ユニソン・ワールドと経営総合研究所の共同出資で福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立し、代表取締役社長に就任するも[25]、1983年、慢性肝炎での入院をきっかけに社長職を退いた。 「お金じゃない、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに貢献できたら幸せだ。どこか名前も知らない小さな女の子に『ありがとう』と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」と思い今に至る。「おばあちゃんはいつも『人さまのお陰だ』と言っていたことから、人を恨んだりしてはいけない」とも語っている。 1986年に社長職に復帰。以降、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄と共にベンチャー三銃士と称された[26]。 1990年、日本ソフトバンクをソフトバンクに社名変更。1994年にソフトバンクの株式を店頭公開。 1996年には米ヤフー社とソフトバンクの合弁でヤフー(Yahoo! JAPAN)を設立。同社代表取締役社長に就任[25]。 同年、衛星放送プラットフォームの運営会社としてJスカイBをルパート・マードックが経営しているニューズ・コーポレーションとの折半出資により設立[注 1]。マードックが会長、自らは社長に就任した。また、全国朝日放送(テレビ朝日)の筆頭株主だった旺文社から、ニューズ社との合弁会社が保有全株式を買い取り、21%の筆頭株主となった[28]。ニューズ・コーポレーションと共同での経営を目的としたM&Aであったが、翌1997年3月に、当時第3位株主だった朝日新聞社に全株式を譲渡して撤退した。JスカイBは1997年にソニーとフジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がイコールパートナーとして資本参加し、1998年にはパーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス(現スカパーJSAT)と合併。スカイパーフェクTV!(スカパー!)として放送を開始した。
ソフトバンク起業
1990年代