学習院大学
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学習院大学

正門(登録有形文化財)

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学習院大学・目白キャンパスの位置
大学設置1949年
創立1847年
学校種別私立
設置者学校法人学習院
本部所在地東京都豊島区目白一丁目5番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分6.12秒 東経139度42分32.6秒 / 北緯35.7183667度 東経139.709056度 / 35.7183667; 139.709056座標: 北緯35度43分6.12秒 東経139度42分32.6秒 / 北緯35.7183667度 東経139.709056度 / 35.7183667; 139.709056
学生数9,240
キャンパス目白(東京都豊島区)
学部法学部
経済学部
文学部
理学部
国際社会科学部
研究科人文科学研究科
法学研究科
政治学研究科
経済学研究科
経営学研究科
自然科学研究科
法務研究科
ウェブサイトwww.univ.gakushuin.ac.jp
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学習院大学(がくしゅういんだいがく、英語: Gakushuin University)は、東京都豊島区目白一丁目5番1号に本部を置く日本私立大学1847年創立、1949年大学設置。
概観正門からつづく小道
大学全体

江戸時代後期の1847年弘化4年)に京都御所で開講された学習所(京都学習院)を起源とする。明治時代初期、1877年(明治10年)に皇族華族の為の教育機関として改めて開校された。新制大学としての学習院大学の開校は、第二次世界大戦後の1949年昭和24年)。現在でも、皇族が通う大学として広く知られており、東京四大学(学習院大学、武蔵大学成蹊大学成城大学)の一校である。
教育および研究

大学をはじめ全ての学習院系列校に共通する教育目標として、ひろい視野 たくましい創造力 ゆたかな感受性

を掲げている[1][2]

学習院大学は、卒業生が教員研究者として多くの大学に採用されている分野があり、これまでに多くの研究者を育ててきたと謳っている。教育目標として「広い視野」を掲げている通り、学部・大学院とも個別の専攻に極端に偏らないように広範囲の科目を履修させるカリキュラムを組んでおり、基礎研究に力を入れる方針を示している。

キャンパスは、目白校地一箇所のみであり、5学部17学科と大学院7研究科、約1万人弱の学生[3]都心の緑豊かなワンキャンパスに集う。
学風および特色

第二次世界大戦以前の学習院には、初等学科・中等学科・高等学科(後に初等科・中等科・高等科となる)が設置されていた。

戦前の学習院は特別の法令によって設立され、宮内省管轄の官立学校であったため、学校令に基づく文部省管轄の学校と必ずしも一致するわけではないが、初等科は尋常小学校、中等科は中学校高等女学校、高等科は旧制七年制高等学校に相当する。高等科を旧制大学と扱う文献も存在しているが、学習院学制自体が帝国大学令大学令とは無関係の法令であり、制度としては旧制七年制高等学校相当である。また、旧学習院高等科から旧制大学へ進学した学生も多く存在していることから、旧高等科を旧制大学相当として扱うことには教育制度の研究家の間に異論もある。

新制大学設立時に文部省に提出された「学習院大学設立趣意書」や大学案内には、学習院大学は旧制時代の1893年(明治26年)から1905年(明治38年)まで存在していた「大学科[注 1]」を復活させたものとの記載がある。

終戦後の学習院の学制改革に関与した山梨勝之進安倍能成両院長もその認識であったが、旧制大学科もまた学習院学制による学校であり、帝国大学令に依ったものではなく、大学令施行時には廃止されていた。

学習院大学は学部・学科の新設に対しては比較的積極的でない方針を長きに亘りとっていた。しかし、2009年平成21年)には理学部生命科学科、2013年(平成25年)には文学部教育学科、2016年(平成28年)には、52年振りの新設学部(既存学部の改組を除くと新制大学開設以来の67年振り)となる国際社会科学部が設立された。
入学試験
学部入学試験.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキブックスに学習院大対策関連の解説書・教科書があります。

2018年(平成30年)度より一般入試として「コア試験」「プラス試験」をスタートさせた。2021年(令和3年)度には、一般入試を一般選抜と改め、コア試験、プラス試験に加え一般選抜として新たに「大学入学共通テスト利用入学者選抜」を導入した[4](同大学では、2020年(令和2年)度まで実施されていた大学入試センター試験は利用していなかった)。

2022年(令和4年)度の一般選抜においては、受験者15,981人中4,911人が合格(倍率3.3)、入学者数は2,304人であった[5]

なお、入試制度としては、一般選抜の他にも学校推薦型選抜総合型選抜(AO)社会人入学等の特別選抜もあるが、全ての学部で実施しているとは限らない[6]

一般選抜としてコア、プラス、共通テスト利用のうちどの入試方法を実施するかは学科によって異るが、2024年(令和6年)度現在、以下の4パターンに分けられる(コア試験は全ての学科で実施される)[7]
コア、プラスおよび共通テスト利用 の全て


法学部:法学科、政治学科

経済学部:経済学科

文学部:教育学科

国際社会科学部:国際社会科学科

コアおよび共通テスト利用


文学部:哲学科、史学科、英語英米文化学科、ドイツ語圏文化学科、フランス語圏文化学科

理学部:化学科、生命科学科

コアおよびプラス


経済学部:経営学科

文学部:心理学科、

理学部:物理学科、数学科

コア のみ


文学部:日本語日本文学科

大学院入学試験

2022年度は、博士前期・後期課程合せて志願者数306人、入学者数161人であった[8]
沿革
略歴1933年(昭和8年)の学習院正門「学習院 (幕末維新期)」、「学習院」、および「学習院高等科 (旧制)」も参照

1847年弘化4年)、仁孝天皇京都御所内に設けた公家を対象とした教育機関である学習所を起源とする。ただし、仁孝天皇自身は前年に崩御したため、目にすることは出来なかった。

1849年嘉永2年)には孝明天皇により勅額が下賜されたことに伴い、京都学習院となる。明治維新を経て、華族制度が整備されると1876年明治9年)には「華族学校」という校名となる。

1877年(明治10年)に「華族学校学則」が制定され、さらに明治天皇のもとで開校式が行われた際に改めて学習院と改名された。学習院ではこの年を学校の創立年としている。もともとは皇室の設置する私塾という位置づけであったが1884年(明治17年)には宮内省が所轄する正式な官立学校となる。

第二次世界大戦前の学習院は学習院学制および女子学習院学制に基づく教育機関で、文部省(現:文部科学省)ではなく宮内省(現:宮内庁)の管轄下に置かれ、華族の子弟なら原則として無償で学習院に入ることができた。それ以外の階層の子弟の入学は一部のみで、授業料は有償、幼稚園への入園は外部生としてしか許されないなどの待遇を受けた。1924年大正13年)の制度改革以降も授業料の金額格差、階級による幼稚園への入園禁止など差別待遇が残り、華族を中心とした学校として維持してきた(皇族就学令)。また平民等でも例外が存在している場合があった。

第二次世界大戦後に華族制度が廃止され、学習院設置の根拠法であった「学習院学制」および「女子学習院学制」が廃止されると、私立学校法人学習院として再出発し、待遇格差も無くなった。だが、近年でも一部の皇族が入学し、“御学友”(一般市民でありながら同席で学ぶ事を許された特別な児童・生徒・学生)が存在するなど、戦前の学習院の痕跡を残している。
年表

1847年弘化4年) - 仁孝天皇が京都御所内に学習所開設。

1849年嘉永2年) - 孝明天皇より「学習院」の勅額(院宝)を下賜される。

1868年明治元年)- 大学寮代と改称。

1877年(明治10年) - 華族学校学則制定、学習院開業式挙行。

1884年(明治17年) - 官立学校となる。同時に宮内省所轄となる。

1893年(明治26年) - 大学科を設置。

1905年(明治38年) - 前年の近衛篤麿第7代院長の死去に伴い、大学科を廃止。

1908年(明治41年) - 目白の現校地へ移転。

1947年昭和22年) - 学習院学制・女子学習院学制が廃止。財団法人学習院となる。

1949年(昭和24年) - 新制大学としての学習院大学開設。文政学部(文学科、哲学科、政治学科)と理学部(物理学科、化学科)を設置。

1950年(昭和25年)- 東京四大学(学習院大学・武蔵大学成蹊大学成城大学)対抗運動競技大会始まる。

1951年(昭和26年)- 財団法人から学校法人学習院となる。

1952年(昭和27年)- 文政学部を政経学部(政治学科、経済学科)と文学部(哲学科、文学科)に改組。東洋文化研究所設置。

1953年(昭和28年)- 大学院人文科学研究科(哲学専攻、国文学専攻)、自然科学研究科(物理学及び化学専攻)設置。

1957年(昭和32年)- 文学部文学科を国文学科、イギリス文学科、ドイツ文学科、フランス文学科に改組。大学院人文科学研究科修士課程にイギリス文学専攻、ドイツ文学専攻、フランス文学専攻を設置。

1961年(昭和36年)- 文学部に史学科を設置。大学院自然科学研究科物理学及び化学専攻を物理学専攻と化学専攻に変更し、博士課程(物理学専攻、化学専攻)を設置。

1963年(昭和38年) - 理学部に数学科を設置。

1964年(昭和39年) - 政経学部を法学部(法学科、政治学科)と経済学部(経済学科)に改組。

1965年(昭和40年) - 大学院人文科学研究科修士課程に史学専攻を設置。大学院人文科学研究科博士課程(哲学専攻、国文学専攻、イギリス文学専攻、ドイツ文学専攻、フランス文学専攻、史学専攻)を設置。

1967年(昭和42年) - 大学院自然科学研究科修士課程に数学専攻を設置。

1969年(昭和44年) - 大学院自然科学研究科博士課程に数学専攻を設置。

1970年(昭和45年) - 大学祭の開催を打ち切り、10月2日の開催だけとなる。大学祭開催に反対するベ平連革マル派による抗議運動、乱闘騒ぎを受けての措置[9]

1972年(昭和47年) - 大学院法学研究科(法律学専攻)修士課程を設置。

1974年(昭和49年) - 経済学部に経営学科を設置。

1975年(昭和50年) - 文学部に心理学科を設置。文学部イギリス文学科を英米文学科に改称。史料館設置。

1978年(昭和53年) - 大学院経営学研究科修士課程専攻を設置。

1979年(昭和54年) - 大学院政治学研究科修士課程に政治学専攻を、経済学研究科修士課程経済学専攻を設置。

1980年(昭和55年) - 大学院人文科学研究科修士課程に心理学専攻を専攻を設置。

1981年(昭和56年) - 大学院政治学研究科博士課程政治学専攻を設置。

1991年平成3年)- 文学部国文学科を日本語日本文学科、大学院人文科学研究科国文学専攻を日本語日本文学専攻に改称。

1999年(平成11年) - 学習院生涯学習センターを設置。

2001年(平成13年) - 学習院マネジメント・スクール(GMS)を設置。

2004年(平成16年) - 専門職大学院法務研究科(法科大学院)を設置。大学院法学研究科(法律学専攻)博士前期課程廃止。


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