学生服
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この項目では、男子向けの詰襟を用いた衣服(学ラン)について説明しています。学校制服全般については「学校制服」を、日本の学校制服については「日本の学校制服」をご覧ください。

学生服(がくせいふく)、学ラン(がくラン)は、日本学生生徒が着用することを目的に規定された服の中で、男子向けの、主に詰襟を用いた共布上下の衣服である。学生服(学ラン)富山県砺波市の学ランを着用する生徒
概要

学生服は、広義には、学校制服・標準服として定められたり、また学生生徒向けのフォーマルウェアである衣服を意味するが、狭義には、その内でも特に「詰襟かつ立襟の共布上下で、男子生徒・学生用の衣服」を指す。本項では主に、後者のものについて記述する。

なお、ごく一部には立折襟開襟平襟の学生服を採用する学校も存在するが、現在、通常の用法としては詰襟という言葉に折襟やその他の形式は含まれず、専ら立襟のみを指す用語として用いられる例が多いため、以下の文中では特に記載のない限り、単に詰襟と記述する。

夏季には、上衣を用いず[注釈 1]、主に白地のシャツのみとされることが多く、ズボン・スラックスも生地が薄く通気性に優れた夏用のものがある(夏用が存在するのは、主に標準型)。春や秋の衣替え期はベストカーディガン等を温度調節に着る場合も多い。

主要生産地は、岡山県倉敷市児島地区。学生服メーカーが集中し、日本国内生産量の7割を占める[1]

近年では、襟にパイピングが縫い込まれているラウンドカラー(ソフトカラー)タイプのものが主流である。

全国で詰襟学生服の採用率は2000年代中盤で高校で約2割、中学校で約7割とのデータがある[2]また、2022年時点で20代の男性が中学生のときに着ていた制服の約6割が詰襟、約3割がブレザーとなっているデータもある[3]
構造

色は、黒色または濃紺で無地のものが圧倒的に多いが、学校によっては群青色灰色緑色、シャドーストライプなどの織が入った生地などが使われる場合もある。また、コスプレ用やイベント衣装用等として[注釈 1]、柄物の学生服も少数ではあるが生産されている。

素材は、ウールポリエステルやその混紡が主で、裏地ライナー)は総裏のものと背抜きのものがある。また、戦前の夏服[注釈 1] には木綿スフなどが用いられることもあった。かつては純毛のサージ織が大半であったが、現在ではカシドス(カシミア・ドスキン)と呼ばれる目の細かい織りのものが増えてきており、夏用のズボンには平織りの生地が使われることもある。既成の変形学生服の多くは、ポリエステル100%のカシドスである。

前合わせは五つボタンが一般的であるが、七つボタンのものやホックファスナーで留めるタイプもある。袖ボタンは2個が基本だが、1個や3個、ボタンなしを標準とする学校もある。また袖口やポケットなどにステッチ蛇腹のパイピングをあしらう例もあり、バリエーションは数多い。ボタンは金色の場合が多いが、学校によっては銀色や黒色が用いられることもあり、校章など独自の意匠が配されるのが通例である。ただし、公立中学校の一部では、汎用の桜花模様のボタンで代用される例もしばしば見られる。

詰襟タイプの男子学生服は学ランとも呼ばれる。学ランの「ラン」は和蘭陀の「ラン」を指し、江戸時代に洋服を蘭服と呼んでいたことに由来するという説がある。つまり呉服(中国由来のスタイルの服=今でいう和服)に対しての蘭服(西洋の服)として、蘭学同様鎖国中は和蘭陀が西洋全てを代表する名前となっていたためである[2]。その後隠語として生き続けた後、昭和50年代に漫画で「ガクラン」と称したことによって再び世間に広まり一般的な呼称となっている[4]。1980年代前半頃、「ガクラン」は長ランなどの変形学生服を指す限定的な用語として使用することもあった[5] が、現在は詰襟の学生服全般を指す。
歴史と文化
歴史東京帝国大学を卒業する1916年(大正5年)頃の第4次『新思潮』のメンバー。和服姿の松岡譲を除き、久米正雄芥川龍之介成瀬正一(左から)の3人は学生服に角帽を着用している。明治時代の男女の学生。1899年(明治32年)の本の表紙より

詰襟の学校制服としては、工部省工学寮札幌農学校で、1873年頃に定められたものが最初期のものに数えられるが[6] 、とくに工学寮(後の工部大学校)の場合、制服は官給品であった[7]。近代化が始まったばかりで、洋服はじめ西洋の生活様式が新奇だった時期における、開化政策の一つの試みといえよう。なお、工学寮の制服の形式だが、当時の生徒写真や卒業生の証言によると、紺色のラシャ仕立てで、両胸部に襞を設け、腰部にベルトを付けた、ノーフォークジャケットに近い立襟の服で、付随する制帽はグレンガリー帽スコットランド発祥の帽子。ギャリソンキャップの原型)であった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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