学校法人立教学院
立教学院諸聖徒礼拝堂
法人番号1013305000423
学校法人立教学院(がっこうほうじんりっきょうがくいん)は、大学、高等学校、中学校、小学校を運営する学校法人。日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)。本部は東京都豊島区西池袋。 西暦597年、ローマから英国に派遣されたオーガスティンの初代カンタベリー大主教着座からの流れを汲み[1]、1859年(安政6年)に初代米国総領事タウンゼント・ハリス(聖公会信徒)の支援によって、プロテスタント初の宣教師、米国聖公会のジョン・リギンズが江戸幕府の要請から長崎に私塾を開設し、チャニング・ウィリアムズとともに英学教育を創始したことを起源とする[2][3]。 1951年(昭和26年)に、財団法人から学校法人への組織変更がなされ、八代斌助が理事長に就き、山際正道(第20代日本銀行総裁)が理事及び財務理事を務め経営を支えた[7]。 年号沿革
概要
1870年(明治3年)にウィリアムズは大阪・川口の与力町で英学講義所(後の大阪・英和学舎、立教大学の前身の一つ)を開設[4]。1874年(明治7年)には、ウィリアムズは東京・築地で私塾「立教学校」を開設し、現在の立教小、中、高、大各学校へと歴史を繋いでいる[5]。英国国教会(英国聖公会)を淵源とする米国聖公会が設立した学校であるが、長崎でミッションを開設した当初からルーツである英国国教会とは、同じ聖公会として連携を行い[6]、1887年(明治20年)に日本において合同し、日本聖公会を設立。立教学院は、英国国教会と米国聖公会を母体として成立した学校法人で、英国の伝統的なパブリックスクールと中世ヨーロッパ以来のリベラル・アーツ教育の伝統を受け継いでいる。
年表
1859タウンゼント・ハリスの支援のもと江戸幕府の長崎奉行の要請で、米国聖公会のジョン・リギンズとチャニング・ウィリアムズが長崎に立教大学の源流となる私塾を創設し、英学教育を創始。
1860米国聖公会のハインリッヒ・シュミットが長崎に診療所とともに医学塾、英語塾を設立。
1863英国国教会のマイケル・ベイリーが横浜に英語塾を設立[8]。
1869英国聖公会宣教協会(CMS)のジョージ・エンソルが長崎に英学稽古所を設立[9]。
1870ウィリアムズが大阪・川口の与力町に英学講義所(後の大阪・英和学舎)を設立。
1874ウィリアムズが東京・築地居留地付近に立教学校(第1次)設立。
1875島田弟丸とウィリアム・ライトが麹町に乙亥学社(イギリス海外福音伝道会/SPGの日本最初の英学塾)を開設。
1877中島彬夫が大阪・北浜に英学私塾・風雲館を設立[10]。
1879CMSのハーバート・モーンドレルが長崎に出島・英和学校を設立(1883年閉校)[9]。SPGのアレクサンダー・ショーとウィリアム・ライトが東京・芝栄町に聖教社を設立(1883年休業)。
1880風雲館が大阪・英和学舎と合併[11]。
1883築地外国人居留地37番に前年末に完成したゴシック風レンガ校舎にて、立教大学校(教育令による旧制大学)を設立。立教学校(第1次)は閉校。
1887日本で英国国教会と米国聖公会が合同し、日本聖公会を設立。大阪・英和学舎が立教大学校と合併。奈良英和学校を設立(1901年閉校)。
1890立教大学校を立教学校(第2次)と改称。アメリカ合衆国式のカレッジから日本式の組織へ改組。
1892東京・芝栄町に聖安得烈学院を設立(1903年閉校)。
1896立教学校(第2次)を廃し、立教専修学校・立教尋常中学校を設置。
1897立教英語専修学校を開設(1903年閉校)。
1899中学校令により、立教尋常中学校を立教中学校と改称。築地明石町に新校舎落成。
1901立教専修学校閉校。
1906清国人留学生のための志成学校を開設(1917年頃廃止)[12]。
1907専門学校令による専門学校となり、立教大学と改称。文科、商科、予科を設置。
1911財団法人日本聖公会教学財団設立。
1918池袋へ移転。本館、図書館、寄宿舎(現2号館、3号館)、食堂竣工。
1921財団法人日本聖公会教学財団を財団法人聖公会教育財団と改称。
1922大学令による立教大学を設立。文学部(英文科、哲学科)、商学部、予科を発足。
1923関東大震災により築地キャンパス壊滅し、立教中学校が池袋へ移転。
1931財団法人聖公会教育財団を財団法人立教学院と財団法人聖公会神学院に分離。