学校法人暁星学園
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学校法人暁星学園
法人番号9010005002321
創立者アルフォンス・ヘンリック
創立1888年
所属学校暁星中学校・高等学校
暁星小学校
暁星幼稚園
所在地東京都千代田区富士見一丁目2番5号
ウェブサイトhttps://www.gyosei.ed.jp/
プロジェクト:学校/学校法人の記事について
Portal:教育
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学校法人暁星学園(がっこうほうじんぎょうせいがくえん)は、日本学校法人
概要

明治10年(1877年)より日本で宣教していたパリ外国宣教会ピエール・マリー・オズーフの要請により、パリのカトリック教育修道会マリア会は、アメリカ人を含む5人の宣教師(アルフォンス・ヘンリック、ニコラス・ワルテル、ジョセフ・セネンツ、ルイ・シュトルツ、カミーユ・プランシュ)を日本に派遣し、1888年明治21年)2月に、カトリック築地教会東京府東京市京橋区築地)の敷地内に家塾として神学校を開設した。これが暁星学園の母体である。

マリア会は、19世紀の初頭、フランス南西部の中心都市ボルドーに始まり、フランス革命の荒廃した社会風潮から「青少年を守ろう」と、シャミナード神父が7人の修道士に呼び掛け、教育修道会として組織したものである。このマリア会の家塾は開設2年後に現在地九段の高台に移転したが、初めは「わずか六人の生徒」を数えるだけの“寺子屋”的な教育機関に過ぎなかった[1]

同年8月に麹町区元薗町2丁目4番地の借家を校舎とする私立暁星学校が設立認可される。1890年(明治23年)には現在地に移転し暁星小学校(旧制)の設立が認可される。1899年(明治32年)には暁星中学校(旧制)が設立認可される。1919年大正8年)には卒業生にフランスのバカロレアと同等の資格が与えられることになった。暁星はフランス語で明けの明星を意味するetoile du matinに由来する。

1923年関東大震災では校舎に引火し被害が甚大な物となったが、ローマ教皇庁はじめ世界中の国々からの浄財が集められ1925年に校舎が再建された。学制改正により暁星初等・中等学校となる。太平洋戦争中は学童疎開において暁星疎開学園委員会を結成し軽井沢や箱根、山梨に分かれて疎開した。

戦後の学制改革により、暁星初等・中等学校は、暁星小学校、暁星中学校となる。1948年には暁星高等学校が認可設立され、小中高の一貫教育を開始した。1969年には暁星幼稚園が設立され、幼小中高一貫教育を開始する。1979年帰国子女の受け入れを目的として全寮制男子校の暁星国際高等学校を千葉県木更津市に開校した。

『キリスト教の理念に基づく教育により、人格の完成をめざすと共に社会の福祉に努める人物を育成すること』を建学の精神とし、フランス語を必修としている。これは、外交官や欧米先進国の上流社会では「フランス語が公用語」となっており、英語が主流となった現在でもなお「日常語はフランス語」でなされ、フランス語は「上流階級のステータス」とされるためである。このことから、フランスとの関係を主とする国際的な一面もあり、卒業式には、フランスやバチカン大使館員なども来賓として訪れる。また、生徒間での交流は特に無かったものの、隣接する場所にはフランス系の外国人学校、リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京があったが、2012年5月に移転し跡地は現在マンションが建っている。開校当初から「外交官の養成機関」といわれるほど、国際人として海外で活躍する優れた人材・異才を政財界から芸能の世界に至るまで、数多く世に送り出してきた[2][1][3]。カトリックの男子校としては日本で最初の学校であり、歴史、伝統、実績などから名門校とされている[4][1]
沿革

1888年明治21年)

2月 - 東京府京橋区明石町にマリア会神父アルフォンス・ヘンリックらが小規模の学校を設立する。


7月 - 東京府麹町区元園町に移転、暁星学校と命名する。

1889年(明治22年)5月1日 - 市制により所在地が東京府東京市麹町区元園町となる。

1890年(明治23年)

7月 - 東京府東京市麹町区飯田町三丁目(現在地)へ移転する。

8月 - 暁星小学校を開校する。


1899年(明治32年)10月 - 暁星中学校旧制)を開校する。


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