『学問のすゝめ』
『學問のすゝめ』
著者福澤諭吉・小幡篤次郎(初編のみ)
訳者デヴィッド・A・ディルワース
[ ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示
『学問のすゝめ』(學問ノスヽメ、がくもんのすすめ)は、福沢諭吉の著書のひとつであり代表作である。初編から17編までシリーズとして発行された。初編のみ小幡篤次郎共著。 1872年(明治5年2月)初編出版。以降、数年かけて順次刊行され、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序
概要
明治維新直後の日本人は、数百年変わらず続いた封建社会と儒教思想しか知らなかった。本書は国民に向かい、日本が中世的な封建社会から、近代民主主義国家に新しく転換したことを述べ、欧米の近代的政治思想、民主主義を構成する理念、市民国家の概念を平易な比喩を多用して説明し、儒教思想を否定して、日本人を封建支配下の無知蒙昧な民衆から、民主主義国家の主権者となるべき、自覚ある市民に意識改革することを意図する。また数章を割いて当時の知識人に語りかけ、日本の独立維持と明治国家の発展は知識人の双肩にかかっていることを説き、自覚を促し、福澤自身がその先頭に立つ決意を表明する。後半の数章で、生活上の心構え等の持論を述べて終わる。
文体は平易ながら、明治維新の動乱を経て新しく開けた新時代への希望と、国家の独立と発展を担う責任を自覚する明治初期の知識人の気概に満ち、当時の日本国民に広く受容された。おそらく近代の啓発書で最も著名で、最も売れた書籍である。最終的には300万部以上売れたとされ[1]、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に全国民の10人に1人が買った計算になる。その後も時代をこえてロングセラーとなり、1950年発行の岩崎書店版[2]も数十万部を売り上げた[3]。
内容
初編
自由・独立・平等の、それまでの日本人が知らなかった3つの価値観が新時代の社会を支配することを宣言する。新時代における身分は生まれではなく、学問を通じた個人の見識により決定することを述べ、権威への服従を中心的価値観とする封建社会の民衆像を否定し、近代国家の市民への意識転換を促す。
⇒二編 人は同等なること
前編を詳説して、実学を推奨し、また平等とは権利の平等であるとし、日本には言葉さえ無かった権利や平等とは何かを説明する。さらに日本が封建制から、市民権を基礎とし、法治主義に基づく近代市民国家へ転換したことを述べる。
⇒三編 国は同等なること / 一身独立して一国独立すること
本編で福沢は、当時の帝国主義全盛の中、諸国家の権利の平等を主張する。初編をさらに詳説し、国民がもはや封建支配の対象ではなくなったことを語り、権威から独立した自由市民としての自覚を促す。また市民の義務について述べ、各市民が国家に責任を負って国家の独立があると説く。
⇒四編 学者の職分を論ず
日本の独立維持の条件に学術、産業、法律の発展をあげ、政府主導の振興策が進展しないのは民間の力不足が原因として、民間を主導する責任は知識人層にあるとする。そして当時の知識人の公職志向を非とし、福沢自身が在野で知識人層を先導する決意を宣言する。
⇒五編 明治七年一月一日の詞
慶應義塾の新年会の挨拶を文章化したもの。福沢は前編と同じく、民間を先導すべき知識人の責任を集まった仲間に語り、一同の奮起を促す。
⇒六編 国法の貴きを論ず
本編で福沢は、政府を社会契約説に基づく市民政府と定義し、法治主義の重要さを説明する。法治を破った私刑の悪例として赤穂浪士の仇討ちをあげ、後に議論を呼ぶ。(赤穂不義士論を参照。)
⇒七編 国民の職分を論ず
前編の社会契約説と法治主義をさらに解説する。また政府が圧政を行なった場合の対応として武力抵抗権を否定し、非暴力主義を提唱する。福沢が本編で封建的主従関係に基づく忠義の価値観を否定し、古来の忠臣とは主人の一両の金を落として首を吊る下男と同じとしたため、後のいわゆる楠公権助論が発生する。(楠公権助論を参照。)
⇒八編 わが心をもって他人の身を制すべからず
江戸期の社会秩序の基軸をなした主従、男女、親子の儒教的上下関係を不合理な旧思想として否定し、男女同権論を展開する。
⇒九編 学問の趣旨を二様に記して中津の旧友に贈る文
本書簡は、学問には個人的・社会的の二種類の目的があることを書く。個人的な目的は生活の独立だが、社会的な目的は、業績によって社会の進歩に貢献することであり、それは人間の義務であると説く。
十編 前編のつづき、中津の旧友に贈る
前編に続けて、学究の徒の心構えを説く。当時の日本の後進性を解決する責務が知識人にあることを語ったのち、目先の生活のため大局的な学問の目的を放棄することを戒める。
⇒十一編 身分から偽君子を生じるの論
八編の内容の続編である。儒教的秩序を基礎とする国家観の不合理を論証し、弊害を述べて身分制度に基づく封建社会を否定する。
⇒十二編 演説の法を勧めるの説 / 人の品行は高尚ならざるべからざるの論
前半では思想を言葉で語ることの重要性を述べ、それまで日本になかった弁論術の観念を提唱する。後半では自己より優れた相手を比較する基準に置いて、常に向上を心がける必要性を説く。
⇒十三編 怨望の人間に害あるを論ず
人間の不道徳のうちで最大は、怨恨であると断じ、怨恨の生じる原因は、自由な発言や行動を禁じられた鬱屈であるとして、政府も民間ともに、個人の言論と行動の自由を妨げてはならないと語る。
⇒十四編 心事の棚卸し / 世話の字の義
前段で長期的な計画に取り組むには自己の状況を商売の簿記のように客観的に監視し、期末ごとの決算のように定期的に総括することを助言する。後段では、他者への監督は他者への保護と表裏の関係にあり、どちらかが欠けた場合の弊害を説く。
⇒十五編 事物を疑いて取捨を断ずること
物事を採用する前に、慎重な検討と取捨選択が必須であることを述べる。西洋文明の進歩は既存の価値観に対する疑問から発生したことを説き、西洋文明そのものすら盲信することを愚として戒める。
⇒十六編 手近く独立を守ること / 心事と働きと相当すべきの論
前段では独立に物理的と精神的な独立の二種があると説く。物欲や虚飾にもとづいて消費する者は、精神が欲求の奴隷となっていることを主張する。後段では内面の自己評価と、実際の仕事の実力を一致させることを説き、不一致が生じた場合の弊害について述べる。
十七編 人望論
世間的な評価の必要性を説き、実力以下の評価しか得られない悩みに対しアドバイスする。他人からの評価を得るためには、実は見た目の印象がまず重要であること、愛想のいい顔つきや話し方の必要性、そしてそのために研究や努力をしなくてはならないと述べる。また孤立せずに努めて交友範囲を広げることを勧めて、全章を締めくくる。
文章「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
慶應大学東館に刻まれているラテン語で書かれた福澤の言
人には生まれながら上下の秩序があるとする儒教思想に由来する、それまでの日本人の常識を完全に否定し、人間の平等を宣言した「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という冒頭の一節は著名だが、この「云(い)ヘリ」は現代における「云われている」という意味で、この一文のみで完結しているわけではない。しかも、この言葉は福澤諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの翻案であるとするのが最も有力な説である[4]。