孝文王
[Wikipedia|▼Menu]

孝文王 ?柱

第29代王
王朝秦
在位期間
前250年11月12日 - 11月14日
姓・諱?柱(えいちゅう)
生年前302年
没年前250年11月14日(旧暦10月6日)
昭襄王
母唐八子
陵墓寿陵

孝文王(こうぶんおう)は中国戦国時代。即位前の称号は安国君(あんこくくん)。は?(えい)、は柱(ちゅう)。子に荘襄王
略歴

紀元前265年、昭襄王の太子が死亡し、後継の太子として安国君が選ばれた。

安国君には20人以上の子がおり、その中にも後の太子となる子楚もいた。子楚は母の夏姫が安国君から気にいられなくなり、の人質として捨て駒のごとく出されていた。それを見かけた大商人の呂不韋が子楚に投資をして趙での名声を上げ、安国君に気にいられていたが子供のいなかった華陽夫人に対して呂不韋が養子として名声がある子楚をもらい受けるように助言をし、それを華陽夫人が安国君に伝え安国君は太子として子楚を指名した。

紀元前251年秋、父の昭襄王が死去し、安国君が孝文王となり、華陽夫人が華陽后、子楚が太子となった。紀元前250年10月、父の喪が明けて正式に即位したが、3日後に死去した。
参考文献

『史記』巻5秦本紀










の第29代(前250年)
君非子 前900-前858 / 秦侯 前857-前848 / 公伯 前847-前845 / 秦仲 前844-前822 / 荘公 前821-前778
襄公 前777-前766 / 文公 前765-前716 / 憲公 前715-前704 / 出子 前703-前698 / 武公 前697-前678 / 徳公 前677-前676 / 宣公 前675-前664 / 成公 前663-前660 / 穆公 前659-前621 / 康公 前620-前609 / 共公 前608-前604 / 桓公 前603-前577 / 景公 前576-前537 / 哀公 前536-前501 / 恵公 前500-前491 / 悼公 前490-前477 / 視、公 前476-前443 / 躁公 前442-前429 / 懐公 前428-前425 / 霊公 前424-前415 / 簡公 前414-前400 / 恵公 前399-前387 / 出公 前386-前385 / 献公 前384-前362 / 孝公 前361-前338
恵文王 前338-前311 / 武王 前311-前307 / 昭襄王 前306-前251 / 孝文王 前250 / 荘襄王 前249-前247 / 秦王政 前246-前221
皇帝始皇帝 前221-前210 / 二世皇帝 前209-前207
子嬰 前207



更新日時:2016年12月3日(土)02:43
取得日時:2017/03/13 12:26


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5444 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef