存在論
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この項目では、哲学の概念としての「存在論 (オントロジー)」について説明しています。「オントロジー」のその他の用法については「オントロジー」をご覧ください。

存在論(そんざいろん、: ontology、: Ontologie)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。
概要

「存在論」の原語は、ドイツ語でOntologie、ラテン語でontologiaであるが、この表現は古代ギリシア語でε?μ?(be, exist)という動詞の現在分詞にして「存在するもの」を意味する?ν (?n)と、「理論」を意味する「ロゴス」(λ?γο?, logos)を結んで、17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ルドルフ・ゴクレニウス によって作られたものである[1]。その後、ヨハン・クラウベルクを経て、クリスティアン・ヴォルフに至り用語として定着した[1]。日本では、1870年に西周がヴォルフのOntologieを「理体学」と訳したのが最初であり、以後、「実体学」、「本体論」、「実有論」などさまざまに訳され、1930年後半以降に入り「存在論」の訳語が定着し、一般にハイデガーのOntologieに対する訳語として用いられることになった。

存在論の歴史は古代ギリシアに遡る。ことにアリストテレスの第一哲学は存在への問いを明確に立てたものであり、以後の西洋哲学の中心は近代に至るまで存在論が占めてきた。

カント以降の哲学は、認識論への傾倒をみせるが、第一次世界大戦後の19世紀の末からニコライ・ハルトマンの批判的存在論や マルティン・ハイデッガーの基礎的存在論などによって「認識論から存在論へ」というモットーのもとに復活をみせるようになった。
歴史
古代
パルメニデスパルメニデス(紀元前500年紀元前475年-没年不明)

パルメニデスは、「ある」(希: estin)ということはどういうことか、という問題を明確化した最初の人物とされている[2]。彼の哲学は叙情詩の形をとっており、その解釈は一様でないが、彼によれば、感覚で捉えられる世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである。パルメニデスは感覚よりも理性に信を置いて真に在るものは不変だと考えた。
哲学は、真理(希: Aletheia、アレーテイア)の道と、思いなし(希: doxa、ドクサ)の道に分けられる。

理性(希: logos、ロゴス)が真理、感覚はドクサの道である。

理性によれば、「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾であるが、現実の存在者は「あり、かつ、あらぬ」(希: einai te kai ouchi)であり、生成流転する(希: gignesthai te kai ollysthai)。したがって、感覚でとらえられる運動・変化・多なるものは、死すべき人間のドクサにすぎない。これに対し、真に「ある」とは、同時に「あらぬはありえない」(希: estin te kai hos ouk esti me einai)ということである。したがって、真に「ある」ところのものは連続一体・不生不滅で変化もしなければ運動もしない全体として、同質の球体を形づくっている。この全体はヘラクレイトスのように対立物の合一したものではない。なぜなら、対立というものも存在しないからである。

パルメニデスは、ソクラテス以前の哲学者の中でも、自然・万物の根源について探求したイオニア学派、それまでのミレトス学派と異なり、宇宙論に先立って、「真理」を問い、これを現実の存在者でなく、存在と結びつけるという新しい哲学態度を示している。
プラトンプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年

プラトンイデア論は、パルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであると言われ、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもなく、イデアの世界こそ真実在であるとし、最高のイデアは、のイデアであるとし、存在と知識の最高原理であるとした。

プラトンは、『国家』篇第五巻において、哲学者は、を愛するが、そのの対象は、イデアの世界の「あるもの」であるのに対し、ドクサを抱くにすぎない者の愛の対象は、仮象の世界の「あり、かつ、あらぬもの」であるとして存在論と知識を結び付けている。彼によれば、この宇宙は、神が質料(ヒュレー)からイデアを範型として制作したものであって、無から創られたものではない。彼の宇宙ないし自然に対する見方はソクラテス以前の哲学者のそれと決定的に異なっており、これがアリストレスに受け継がれていくことになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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