孔舎衛坂駅
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孔舎衛坂駅*
ホーム跡(2004年2月)
くさえざか
KUSAEZAKA

石切 (0.5 km) (3.6 km) 近畿日本生駒
南は石切駅
所在地大阪府枚岡市日下町
(現・東大阪市日下町1丁目).mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分17秒 東経135度39分28秒 / 北緯34.688134度 東経135.657747度 / 34.688134; 135.657747座標: 北緯34度41分17秒 東経135度39分28秒 / 北緯34.688134度 東経135.657747度 / 34.688134; 135.657747
所属事業者近畿日本鉄道
所属路線奈良線(石切 - 生駒間旧線)
駅構造地上駅
ホーム2面2線
開業年月日1914年大正3年)7月17日
廃止年月日1964年昭和39年)7月23日
備考路線変更により廃駅
* 開業当時の駅名は日下。1918年に鷲尾へ改称。
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孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は大阪府枚岡市日下町(現・東大阪市)にあった近畿日本鉄道(近鉄)奈良線廃駅)。石切 - 近畿日本生駒(現・生駒)間の生駒トンネル大阪方坑口に位置していた。

新生駒トンネル開通により1964年昭和39年)に廃止された。
駅構造

対向式ホーム2面2線を有していた。奈良方面ホームの大阪側に駅舎があり、大阪方面ホームへは構内踏切を使って行き来した。
歴史
年表生駒トンネル内から見た、停車中のデボ1形5号(後のモ200形)

1914年大正3年)7月17日:日下駅として開業。

1918年(大正7年):鷲尾駅に改称。

1940年昭和15年)6月:孔舎衛坂駅に改称。

1964年(昭和39年)7月23日:新生駒トンネル開通の路線変更により廃止。

なお戦前に、この駅から分岐して天満橋筋四丁目に至る四条畷線が計画されていた。
駅名の由来

日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる。駅名改称のあった1940年皇紀2600年にあたり、各地で「紀元二千六百年記念事業」が行われるとともに、神武東征の跡地が文部省によって調査・比定された。それを記念しての改名である。
表記と読み

当駅の駅名について、漢字表記を「孔舎衛坂」ではなく「孔舎衙坂」、読みを「くさえざか」ではなく「くさかざか」としているものがある。しかし前身である大阪電気軌道の社史、戦後の近鉄の社史、駅のあった枚岡市東大阪市の市史など、公式の文献資料ではすべて「孔舎衛坂」表記であるほか、現存する駅名標の写真等は「くさえざか」となっているため、あくまで駅名としては「孔舎衛坂」「くさえざか」が正しい。

それとは別に、このような異同が存在する理由は、『日本書紀』における「孔舎衛坂」に誤字説が唱えられたことが関係している。この説は江戸時代の注釈書『日本書紀集解』で初めて提唱されたもので、直前に「草香」=「くさか」が出て来るため、「孔舎衛坂」は「孔舎衙坂」=「くさかざか」の誤写ではないか、というものである。

先述「紀元二千六百年記念事業」に伴う文部省の調査においては、当初「孔舎衙坂」で発表されたが、2年後にまとめられた報告書では「孔舎衛坂」に修正された。戦後にも学術的に「孔舎衛坂」を採り、一応の決着をみている。しかし、誤写説も古くからの説であり、それなりの根拠があることから、結果的に同じ地名(駅名)に対して「孔舎衛坂」「孔舎衙坂」という異同が残される形となった。

ただ、万葉集歌枕にもなっている難波潟(難波入江)の古称が「草香江」(くさかえ)であること、「クサカ」が転じて初代駅名の由来となった地名および表記「日下」も当然「くさか」であること(「くさえ」とは読めない)、大正・昭和期の村名が「孔舎衙村」(くさかむら)であったこと、以上には留意する必要がある。なお、口承としての地名は、現地では古くより現在も一貫して「クサカ」であり、漢字表記の場合は「孔舎衙」である(孔舎衙小学校、孔舎衙中学校などがある)。
廃止後の駅の状況

駅跡は廃止後もそのまま残っている。石切駅から生駒よりへと歩くと石切観音の参道沿いに見つけられ、辿り着くことができる。また駅跡から少し大阪方に行ったところには近鉄鷲尾開閉所がある。

駅跡の旧大阪方面ホーム跡には「貫通石 東大阪線 生駒トンネル 昭和60年4月17日」の石碑があり、神社がある。また、駅跡の奈良方面には旧生駒トンネルもあるが立ち入り禁止となっている。

近鉄けいはんな線生駒トンネル内からの緊急脱出路は、この旧生駒トンネル内に通じている。
隣の駅
近畿日本鉄道
奈良線(石切-生駒間旧線)
石切駅 - 孔舎衛坂駅 - 近畿日本生駒駅(現・生駒駅
脚注[脚注の使い方]
参考文献

宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩く3』(
JTBキャンブックスJTB刊、1997年)

大阪電気軌道編『大阪電気軌道株式会社三十年史』(大阪電気軌道刊、1940年)

近畿日本鉄道編『近畿日本鉄道50年のあゆみ』(近畿日本鉄道刊、1960年)

近畿日本鉄道編『近畿日本鉄道最近20年のあゆみ』(近畿日本鉄道刊、1980年)

近畿日本鉄道編『近畿日本鉄道80年のあゆみ』(近畿日本鉄道刊、1990年)

枚岡市史編纂委員会編『枚岡市史』第一巻 本編(枚岡市刊、1967年)

東大阪市史編纂委員会編『東大阪市史』近代2(東大阪市刊、1997年)

文部省編『神武天皇聖蹟調査報告』(文部省刊、1942年)

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、孔舎衛坂駅に関連するカテゴリがあります。

日本の鉄道駅一覧

日下駅 - 駅開業時と同名の駅。高知県高岡郡日高村にある。

  近畿日本鉄道 難波線奈良線 A

(大阪難波 - 大阪上本町間:難波線、大阪上本町 - 近鉄奈良間:奈良線)
尼崎神戸三宮方面<<)大阪難波 - 近鉄日本橋 - 大阪上本町 - 鶴橋 - 今里 - 布施 - 河内永和 - 河内小阪 - 八戸ノ里 - (*玉川信号場) - 若江岩田 - 河内花園 - 東花園 - 瓢箪山 - 枚岡 - 額田 - 石切 - 生駒 - 東生駒 - 富雄 - 学園前 - 菖蒲池 - (京都国際会館方面<<)大和西大寺(>>橿原神宮前天理方面) - 新大宮 - 近鉄奈良


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