姿見
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「鏡」のその他の用法については「鏡 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
鏡(つぼや背後の植物が映る) 鏡台 和鏡各種。『歴世女装考』より 鏡台各種。『歴世女装考』より

鏡(かがみ)は、通常、主な可視光線反射する部分を持つ物体である。また、その性質を利用して光を反射させる器具を指す。鏡に映る像は鏡像といい、これは左右が逆転しているように見えるものの、幾何学的に正確に言えば、逆転しているのは左右ではなく前後(奥行き)である。なお、これらの鏡像の発生原因を、自分が鏡に向き合ったとき、自分の顔の左側から出た光線および顔の右側から出た光線が、それぞれ鏡に反射した後、それら両方の反射光線が、いずれも右目に入射する時の、両光線の相互の位置にて説明できるとする見解がある[1]
目次

1 概要

2 鏡の形

3 鏡の歴史

3.1 技術的変遷

3.2 鏡と人間、動物の認識

3.3 中国伝説での「?母」

3.4 鏡を首から提げるアイヌの女性

3.5 鏡を祀る日本の神社


4 鏡と食事に関する研究

5 鏡が重要な役割を示す作品

5.1 鏡の中の世界を描いた作品

5.2 鏡が重要なアイテムとして登場するその他の作品


6 メーカー

7 脚注

8 関連項目

9 外部リンク

概要

古くは金属板を磨いた金属鏡が作られたが、現代[いつから?]の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムなどの金属を蒸着したものである[要出典]。他に、プラスチックポリエステルフィルムの表面に金属を蒸着したものや、高級品では銀鏡反応を利用して薄い銀の膜を鏡に貼り付けた物などもある。

鏡台[2]、姿見[2]、壁掛け鏡[2]、卓上立て鏡[2]のような形態がある。

化粧のために手鏡を立てかける台、もしくは鏡を取り付けられた台を鏡台(かがみだい、きょうだい)と呼び、どちらも多くは化粧品などを納める引き出しが付いている。鏡を取り付けられた鏡台の場合、その鏡は手鏡よりは大きな鏡だが、姿見ほど大きくはない。

鏡台は東洋西洋どちらにもあり、日本では明治以降、徳島県が大産地となって「阿波鏡台」と呼ばれた。大きな鏡を取り付けた洗面化粧台が増え、独立した鏡台の需要は減少している[3]

人が自らの全身を映す大型の鏡を姿見(すがたみ)と称する。主に身なりを整えたり、着こなしを確認したりするために使う。多くは縦に長い長方形となっている。個人宅だけでなく、購入を考えている衣服を身体にあてて見るため、衣料品販売店に多く置かれている。カーテンで仕切られた小部屋内に姿見がついたフィッティングルーム(試着室)もある。

手に持って使う鏡を手鏡と呼ぶ。
鏡の形

一般的な鏡は平面の形をしており、これを平面鏡という。これに対して表面がくぼんでいるものを凹面鏡、逆に突出したものを凸面鏡という。凹面鏡や凸面鏡は光を曲げることが出来るので、レンズの代用とすることが出来る。反射望遠鏡は凹面鏡を利用している。また平面鏡は1方向からの像のみを写すので、立体の正面は見えても側面は写さない。このため、複数の鏡を組み合わせることも行われる。いわゆる鏡台は普通三面鏡になっている。
鏡の歴史
技術的変遷

最初の鏡は、水溜りの水面に自らの姿形などを映す水鏡であったと考えられる。その後、や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡発掘などから分かっている。

古くは、チャタル・ヒュユク遺跡から、黒曜石を磨いた石板の鏡が出土している[4]

続いて、金属板を磨いた金属鏡が作られ、多くは青銅などを用いた銅鏡であったが[5]、後にめっきを施されるようになった(表面鏡)。現存する最古の金属鏡は、エジプト第6王朝紀元前2800年)の物。以来、・錫およびそれらの合金を磨いたもの、および水銀が鏡として用いられる。

東アジアでは、中国の銅鏡史で、約4千年前の「斉家文化期」(新石器時代)が古く、代を経て、春秋戦国時代になると華南地方を中心に大量に生産・流通することとなる[6]。中国鏡の日本への渡来は弥生時代中期から確認される[7](日本での金属鏡の始まりは前2世紀前後)。日本では、紀元前2世紀から後16世紀(弥生期から桃山期)までの約1800年間を「古鏡の時代」と区分・分類している[8]

現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを施し、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたものである(裏面鏡)。

1317年ヴェネツィアのガラス工が、錫アマルガムをガラスの裏面に付着させて鏡を作る方法を発明してから、ガラスを用いた反射の優れた鏡が生産されるようになった。これはガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ、放置して徐々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として、鏡として仕上げるという手間のかかるものであった。

1835年ドイツフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来、製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきた。

今日[いつ?]では、鏡は高度に機械化された方法で大量生産され、光沢面保護のための金属めっきや塗料の工夫により飛躍的に耐久性が向上したが、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来変わらない。これは、銀という金属は可視光線の反射率(電気伝導率および熱伝導率に由来する)が金属中で最大のためである。現在[いつ?]では、ガラスを使う鏡の他に、ポリエステルなどのフィルムの表面に金属を蒸着し、可搬性や安全性を高めたものもある。
鏡と人間、動物の認識 ヒトは鏡に映った自分を認識できる

鏡の起源は人類と同じほど古い。最古のそれは水鏡(水面)に遡るからである。鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされる。鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を得た。

鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼ぶ。自己鏡映像認知能力の有無は動物知能を測るための目安となる。チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるという。チンパンジーのように鏡を利用するまで至らないが、自己鏡映像認知能力がある動物として類人猿のほか、イルカゾウカササギヨウムブタ等が挙げられる[9]。en:Mirror testも参照。

鏡に映像が「映る」という現象は、古来極めて神秘的なものとして捉えられた。そのため、単なる化粧用具としてよりも先に、祭祀の道具としての性格を帯びていた。鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られる。

水鏡と黒曜石の石板鏡と金属鏡しかなかった時代・古代哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされた。一方、近代になり、ガラス鏡が発達すると、シュピーゲル(ドイツ語)やミラー(英語)という名を冠する新聞が登場するようになる。


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