この項目では、道徳上の概念について説明しています。強姦罪の構成要件については「強姦罪#姦淫」をご覧ください。
姦淫(かんいん)とは、性に関わる不道徳の事である。多くの宗教において、姦淫は罪悪とされる。姦淫の意味は宗教によって異なる。 旧約聖書に神がモーセに与えられたと書かれてある十戒で「姦淫してはならない」と命じられている。旧約の司法律法の規定では姦淫の罪に死刑が定められており、処女でない未婚女性、男女の不倫、男性同性愛は死刑である[1]。司法律法の現代適用については議論があり[2]、キリスト教再建主義では姦淫に対する処罰規定の適用が主張されている[3][4][5]。 新約聖書においては、「姦淫」に関して矛盾した叙述があり、マタイ書とヨハネ書における以下の相反する記述が、両者ともナザレのイエスの発言とされている。すなわち、マタイ書では、十戒に基づきつつ、新たに配偶者以外の者への性的関心、および自慰行為が、「地獄に堕ちる罪」として絶対的に重視されている。一方で、それに対して福音記者ヨハネは、「ヨハネによる福音書」において、ナザレのイエスが姦淫への寛容を説く逸話を引用している。そこでは、ナザレのイエスはレビ記および申命記にある律法[6][7]を否定して、姦淫の禁止を許される比較的軽微な戒律として相対化し、また死刑を姦淫より大きな罪とみなしている。
キリスト教
マタイによる福音書
マタイ 5:27
モーセの時代、姦淫は死刑になるため、離婚ではなく、死刑によって結婚が終了した[8]。ウェストミンスター信仰告白は相手の不貞のみ離婚の理由になりうるとする[9]。カトリック教会はどの場合にも離婚を認めておらず、教会法上離婚そのものが存在しない[10][11]。
カトリック教会は婚前交渉を禁じている[12]。また、福音派の教会においても婚前交渉は禁じられる[13][14][15][16]。
男性が思いで情欲の罪を犯すことはよく指摘されることであり[17]、また、女性の情欲の罪は感情であるとして悔い改めが要求される[18]。
カトリック教会では自慰行為も罪とされ、避妊は大罪である[19]。 旧約聖書では、国あるいは各コミュニティは「神と婚姻の契約を結んだ娘」と捉えられ、「シオンの娘」等と表現される。ヘゲモニーが奪われ、他教への信仰に目覚めるイスラエルは、姦淫を犯したとされ、エゼキエル書16章、23章では、口をきわめて痛罵されている。また、ヘブライ語では、男性が既婚女性を誘って行う行為が「ナーアフ」既婚女性が男性を誘惑する行為を「ザーナー」と言うが、エゼキエル書16章30節で「大娼婦」と痛罵されるエルサレムが32節で「ナーアフを行う」とある。また、エゼキエル書23章4節で、サマリアがオホラ(天幕を持つ女)、エルサレムがオホリバ(我が天幕は彼女の中に)という名で表現されるが、いかなるニュアンスの蔑称であるかは不明である。
旧約聖書での用法
脚注^ 『聖書ハンドブック』聖書図書刊行会
^ 『新キリスト教辞典』収録宇田進著「クリスチャン・リコンストラクション」
^ ⇒石打刑を骨抜きにするようなキリスト教はキリスト教ではない Archived
^ ⇒再建主義批判者はまずこちらの主張を誠実に知るべきだ Archived 2008年5月27日, at the Wayback Machine.
^ ⇒姦淫の現場で捕らえられた女についてグレッグ・バーンセン
^ :レビ記 20:10
^ 申命記 17:5
^ マーティン・ロイドジョンズ『山上の説教』上「離婚についてのキリストの教え」p.390 いのちのことば社
^ 『ウェストミンスター信仰告白』新教出版社
^ 公教要理
^ ペトロス・ロンバルドゥス『命題集』
^ サカイタカコ「本物の性と愛の選択を一若い世代へのメッセージ」2021年1月22日、『日本プロライフ ムーブメント』
^ 高校生聖書伝道協会『クリスチャン・ライフQ&A』いのちのことば社
^ 尾山令仁『結婚の備え』いのちのことば社
^ チャールズ・スウィンドル『性といのちの問題』いのちのことば社
^ 高木実『生と性-創世記1-3章にみる「男と女」』いのちのことば社
^ 平野洋子「 ⇒クリスチャン女性が陥る性的誘惑とは」 月刊『いのちのことば』2007年9月号
^ シャノン エスリッジ著『あなたはどこに愛を探していますか?』いのちのことば社 ISBN 4264025508
^ 『公教要理』
参考文献
『新聖書辞典』いのちのことば社
『聖書ハンドブック』ハーレイ 聖書図書刊行会
『聖書語句大辞典』日本基督教協議会文書事業部 教文館
『 ⇒聖書律法綱要』ラッシュドゥーニー著、富井健訳 福音総合研究所刊
『現代に生きるための旧約律法』グレッグ・バーンセン著 床田亮一訳 聖恵授産所出版部
関連項目
モーセの十戒
性行為
婚前交渉