姥神大神宮渡御祭
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姥神大神宮渡御祭(うばがみだいじんぐうとぎょさい)は、北海道檜山郡江差町にある、北海道最古と呼ばれる神社である姥神大神宮の例大祭である。
概要

毎年8月9日10日11日の3日間にかけて執り行われる、北海道最古と呼ばれる祭で、370年以上[注 1]の歴史を誇る。神事にともなう御輿渡御の後に続いて山車(ヤマ)が町を練り歩く形式で。かつての北前船交易によって京都祇園祭の文化が伝わる事でその祭の流れをくむ形となった。2019年平成31年)3月19日には、北海道の無形民俗文化財に指定された。

祭にともなう由来については姥神大神宮を参照。
歴史

祭りの起源は定かではないとされているが、1644年正保元年)に姥神大神宮が現在の地に遷座した年を最初として数えられた年数としているのが通説となっている[1]

1816年文化13年)の藤枝家文書『社地伝記控』の記述[1]によれば、現在の祭典の形を取るまでは姥神大神宮と弁天社(現在の鴎島に在する厳島神社)とが隔年で交互に8月14日 - 16日の期間で祭礼を行っていたとあり、後の藤枝家文書『元治元年七月姥神宮夜宮例祭日記』中に記載の「姥神宮祭礼之議是迄弁天宮両社二付隔年八月十五日・十六日両日祭礼修行仕」という記述から1862年文久2年)まで行われていたとなっている[2]。また後者の藤枝家文書には同年に姥神大神宮と弁天社の祭礼の分離が行われたと記されており、姥神大神宮の祭礼については翌年の元治元年より行われた。

分離以降は姥神大神宮渡御祭として続くことになるが、祭礼の期間は幾度かの変遷があり、記録にある中で1962年(昭和37年)までは8月20日 - 23日とされていたが、祭礼町民アンケートにより、翌年から現在の日程となる[3]
山車(ヤマ)

江差町では山車のことを「ヤマ」と呼び、各町内で大事に保存されている。祭においての山車(ヤマ)は御輿渡御に続いての山車供奉として位置づけられている。姥神大神宮祭礼への山車供奉は19世紀中頃からとされて、以降現在まで続く[4]
山車の種類

山車巡行では次の13基の山車が町内を練り歩く。

山車名人形所属町摘要
政宗山
伊達政宗新地町・円山・緑丘
清正山加藤清正本町
源氏山武蔵坊弁慶上野町
聖武山日本武尊橋本町江差町有形民俗文化財
譽山大石内蔵助茂尻町
義公山水戸光圀南浜町・柏町・南が丘
松寳丸人形はなく、船頭として子供を乗せる海岸町・陣屋町北海道有形民俗文化財
楠公山楠木正成津花町
豊年山神武天皇姥神町江差町有形民俗文化財
蛭子山蛭子大神中歌町江差町有形民俗文化財
豊榮山ニニギノミコト豊川町
神功山神功皇后愛宕町北海道有形民俗文化財
新栄山武田信玄新栄町


政宗山

清正山

源氏山

聖武山

譽山

義公山

松寳丸

楠公山

豊年山

新調前の蛭子山

豊榮山

神功山

新調前の新栄山

一番古い山車人形は神功山の神功皇后宝暦4年(1754年)に製作されたとの記録があり、北海道有形民俗文化財に指定されている。

特殊な山車としては、聖武山は13基中の数少ない動作人形で、山車内部のからくりによって人形が台座ごと上下する構造となっている。

松寳丸は13基中唯一の、船山と呼ばれる和船造りの山車である。

蛭子山は老朽化した事から2018年平成30年)に107年ぶりに山車が新造され、8月5日に北洋銀行江差支店駐車場を会場としたお披露目会が行われた後、同年の祭から巡行が開始された[5]
山車の構成

山車は、船山である松寳丸を除いては、屋体最上段後方に依り代となる青木(通常はトド松等の針葉樹が使われる)を立て、その前方に依り代の守護として人形を配置する。松寳丸においてはが依り代、船頭役の子どもが守護に置き換えられる。最上段には通常、線取(せんとり、後述)の人員も乗り合わせる。

山車の前方(松寳丸においては後方)には大太鼓1台と小太鼓2台を置き、叩き手2名と、山車によってはチャガマ(山車によって多少呼称の違いあり)などを打ち鳴らす奏者1名を配して、横笛の音に合わせたお囃子を奏でる。
山車の巡行

山車は通常、で引き手が引くほか、山車本体を押す参加者もいる。方向は先頭にある棒で前車輪の向きを変える事で方向転換する。また、下り坂の時は綱を山車の後方に回して引いて減速するほか、後車輪に取り付けられているブレーキ装置で減速や停止を行う。

松寳丸については舵・ブレーキの装置が無く、方向転換は掛け声とともにロープを引いて行い、大きく方向転換する時は山車本体も押し、時に専用のてこ棒も使うなどして動かす。減速は通常、山車の後ろ側に伸ばしたロープを逆方向に引いて行い、山車本体を停止する時は山車本体を後ろに押すほか、てこ棒を車輪に噛ませて止める事もある。


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