京畿道 始興市烏耳島赤灯台
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:始興市
片仮名転写:シフン=シ
ローマ字転写 (RR):Siheung-si
統計(2023年)
面積:131.46 km2
総人口:519,715[1] 人
男子人口:271,236 人
女子人口:248,479 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:京畿道
下位行政区画:20洞
行政区域分類コード:31150
始興市の木:?
始興市の花:?
始興市の鳥:?
自治体公式サイト:始興市
始興市(シフンし)は、大韓民国京畿道の西部にある市である。市庁間の距離でソウルの南西25kmに位置する。ソウルのベッドタウンであり、人口は1989年の市制施行時9万人ほどであった。2010年時点で総人口が約40万人で[2]、2020年時点で総人口が50万人を超えているため、2022年1月より大都市に指定されている[3]。そのうち外国人人口は1990年時点では数人だったが[2]、2010年時点で約1万4千人で、2019年時点で約5万人である[2]。人口は、市北部の大也洞・新川洞、中央部の蓮城洞、海岸部の正往洞と、集中地域が分散している。
市のスローガンは100 Years Of Promises. Siheung (?? 100?? ??, 始興100年の約束) 。
なお、下記の歴史節から分かるように、現在の始興市の領域は1914年以前の仁川府と安山郡の各一部で、1914年以前の始興は現在のソウル特別市衿川区始興洞を中心とした地域である[4][5]。
歴史
始興市
1989年1月1日 - 始興郡蘇莱邑・秀岩面・君子面が合併し、始興市が発足。
1995年4月20日 - 一部を安山市に編入。
始興郡
1914年4月1日 - 郡面併合により、始興郡・果川郡および安山郡の一部を始興郡として編成。始興郡に以下の面が成立。(9面)
北面・新東面・東面・西面・西二面・果川面・南面・秀岩面・君子面
朝鮮総督府令第8号
1914年の行政区画の改編改編前改編後 行政洞法定洞
始興郡郡内面、東面東面
始興郡西面、南面西面
始興郡上北面、下北面北面
果川郡下北面
果川郡上西面、下西面西二面
果川郡東面(注岩里を除く)、上北面新東面
果川郡東面注岩里果川面
果川郡郡内面
果川郡南面南面
安山郡郡内面、仁化面、草山面秀岩面
安山郡大月面、馬遊面、瓦里面君子面
1917年 - 北面の一部を永登浦面として分離。(10面)
1931年4月1日 - 永登浦面が永登浦邑に昇格。(1邑9面)
1936年4月1日 - 京城府の拡張に伴う行政区画見直し。(8面)
永登浦邑および北面・東面のそれぞれ一部が京城府に編入。
北面の残部が東面に編入。
1941年 - 西二面が安養面に改称。(8面)
1949年
8月13日 - 東面の一部がソウル特別市永登浦区に編入。(8面)
8月14日 - 安養面が安養邑に昇格。(1邑7面)
1963年1月1日(1邑6面)
新東面および東面の一部がソウル特別市永登浦区に編入。
東面の残部・西面の一部が安養邑に編入。
華城郡日旺面の一部を移管し、儀旺面を設置。
1973年7月1日(7面)
安養邑が安養市に昇格・分離。
富川郡蘇莱面を編入。
1979年5月1日(2邑5面)
西面が所下邑に昇格。
南面が軍浦邑に昇格。
1980年12月1日(4邑3面)
儀旺面が儀旺邑に昇格。
蘇莱面が蘇莱邑に昇格。
1981年7月1日 - 所下邑が光明市に昇格・改称・分離。(3邑3面)
1983年2月15日(3邑3面)
華城郡半月面の一部が儀旺邑に編入。
蘇莱邑桂寿里・玉吉里の各一部が富川市に編入。
蘇莱邑玉吉里の残部が光明市に編入。
1986年1月1日(3邑2面)
果川面が果川市に昇格・分離。
君子面・秀岩面のそれぞれ一部に華城郡半月面の一部を編入させ、安山市として昇格・分離。
1989年1月1日
儀旺邑が儀旺市に昇格。
軍浦邑が軍浦市に昇格。
蘇莱邑・秀岩面・君子面を始興市に昇格。
これによって始興郡は廃止。
行政行政区域図
行政区域
大也洞大也洞、桂寿洞
新川洞新川洞
新?洞芳山洞、浦洞、米山洞
銀杏洞銀杏洞、鞍?洞
梅花洞梅花洞、道倉洞、錦李洞
牧甘洞物旺洞、山?洞、鳥南洞、論谷洞、牧甘洞
君子洞去毛洞、君子洞
月串洞月串洞
正往本洞正往洞、竹栗洞
正往1洞正往洞
正往2洞
正往3洞
正往4洞
コブクソム洞
ペゴッ1洞ペゴッ洞
ペゴッ2洞
果林洞果林洞、茂芝内洞
蓮城洞下中洞、下上洞、広石洞、長?洞
長谷洞長谷洞
陵谷洞花井洞、陵谷洞、広石洞、君子洞、長?洞
警察