凡例姉小路 家綱
時代室町時代中期
生誕不詳
死没明徳元年(1390年)
改名基氏→家綱
官位従三位・参議
氏族姉小路家
父母父:姉小路高基
妻山科教行
姉小路 家綱(あねがこうじ いえつな)は、室町時代中期の公卿。従三位・姉小路高基の子。姉小路家当主。 姉小路家綱は、史料に初めて登場する「飛騨国司の姉小路氏」である。『後深心院関白記』永和4年(1378年)8月27日条に見える。この際、従三位と参議に叙任されており、当時の姉小路家の家格に見合わない昇進[注釈 1]であったため、近衛道嗣はこれを不審だとしている。また、道嗣は家綱が従三位・参議に叙任されたのは、光明法皇の推挙のためであり、法皇が推挙した理由は、家綱の妻の姉妹が法皇に仕えていたことが関係していると考えられる[2]。 ただし、姉小路家が最初に飛騨国司を務めたタイミングは不明であり、建武政権下説、応安4年(1371年)説などがある。家綱は、貞和4年(1348年)に光明天皇が行幸した際に「近衛次将基氏朝臣」として名前が見える。そして、貞治2年(1363年)には、左中将であった家綱と左少将であった弟の姉小路頼時
概要
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 家綱以前に藤原氏小一条流の人物が参議に任じられたのは承保2年(1075年)藤原師成。
出典^ 大薮海編『室町幕府と地域権力』(2013年、吉川弘文館)[要ページ番号]
^ 大薮海編『室町幕府と地域権力』(2013年、吉川弘文館)[要ページ番号]
^ 大薮海編『室町幕府と地域権力』(2013年、吉川弘文館)[要ページ番号]