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妹尾 河童
(せのお かっぱ)
1956年ごろ
誕生妹尾 肇(せのお はじめ)
(1930-06-23) 1930年6月23日(93歳)
日本 兵庫県神戸市
職業エッセイスト・小説家・グラフィックデザイナー・舞台美術家
国籍 日本
最終学歴兵庫県立第二神戸中学校
ジャンルエッセイ、小説、イラスト
代表作『河童が覗いた』シリーズ
『少年H』
主な受賞歴毎日出版文化賞・特別賞
配偶者風間茂子(妻)
ウィキポータル 文学
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妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)、1930年(昭和5年)6月23日 - )は、兵庫県神戸市生まれのグラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家。
自著『河童が覗いた』シリーズでの緻密な手書きイラストレーションでも知られている。妻はエッセイストの風間茂子。 神戸で洋服屋の長男として生まれる[1]。 小学生の時、芥川龍之介の『三つの宝』を裕福な友人から借りたくて、その友人が冗談で出した「空中2回転が出来たら貸す」という条件を鵜呑みにして失敗、肩から落下し骨折した経験がある。本自体は友人が父親に内緒で貸し出した。 1947年(昭和22年)、小磯良平に憧れ兵庫県立第二神戸中学校(現:兵庫県立兵庫高等学校)に進む。在学中は小磯に師事してデッサンを学んだ[1]。家を空襲で失い、学校に住むことになったが、教室を等分してすのこで区切るという簡易部屋であったため一時期荒れる(仕切りであるすのこは、間を障子紙で塞いだ粗末なもので隣の子供が一日中妹尾家を穴を開けて覗き見していたため精神的にイラついたという)。人間不信から自殺まで考えるようになり[2]、「ボクこのままやったらなんか気がおかしくなってしまいそうや」と父に言って家出。そんな息子に父は暖かい言葉をかけて見送ったという。この家出の最中の棲家は旧校舎の使われていない美術室であった。 神戸二中を卒業後、絵画を目指し進学したかったが、戦後の混乱の中では、かつてのように父は洋服屋を営むこともできず、経済的に困窮していたので進学は諦め、看板屋の小僧となった[1]。仕事は過酷だったが、画家たちが集まって作った工房だったので、仕事場は楽しく、彼はその時期に活字体の文字を書くレタリング技術を独学で身につけた[1]。
人物・来歴