妙覚寺
妙覚寺(みょうかくじ)は、東京都稲城市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号は雲騰山。本尊は十一面観音。 『稲城町誌』によると、当寺所蔵の過去帳に「当山開基万松院 天文十九庚戌五月四日」「開山陽雲讃和尚 永禄四辛酉四月廿三日」とあり、「開基万松院」は室町幕府第12代征夷大将軍足利義晴の法号「万松院曄山道照」を指す。「開山陽雲」は当寺の南東約1km、川崎市多摩区菅仙谷にある寿福寺の住持であり、寿福寺の住持陽雲が退隠所(隠居寺)として建てたもので、寿福寺が関東公方足利氏満の外護で再興したため、足利義晴を開基としたとする[3]。また『多摩の歴史 5』も『稲城町誌』を参考資料として同様に記している[4]。 なお『新編武蔵風土記稿』巻之九十五「多磨郡之七 府中領」では寺号を「明覺寺(明覚寺)」、除地七畝八歩(約720.66m2)、山号を「雲登山」、橘樹郡菅村壽福寺(寿福寺)末と記し[5]、『江戸名所図会』天?之部では「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}騰雲山明覺寺(とううんざんみやうかくじ)」と記した[6]。『江戸名所図会』によれば、当寺は足利義晴が建立した後、廃寺となっていたが、慶長年間に加藤太郎左衛門が再興して菩提寺としたといわれ、中興開基は陽雲和尚とする。当寺に長坂血鎗九郎が陣中守護のため鎧の中に籠め奉った伽羅の正観音を安置し、(同観音は)立像三寸ばかり(約10cm)で弘法大師の作とされ、今は一尺余り(約30cm)の正観音を彫像してその體中に秘案した、と記す[6]。
歴史
文化財
筆塚(昭和60年1月23日指定)[7] - 境内にある筆塚は、指導者の永年にわたる学業指導の功績と徳を称えて嘉永7年(1854年)閏七月に建立されたもので、石碑の表面には指導者だった角田すず女の辞世の歌「紫の雲の迎を待つばかり、うき世の事はとにも角にも」が刻まれている。また、台石の表及び左右側面に矢野口村・長沼村・押立村・菅村の49名の筆子代表者の名前が刻まれている[1]。
板碑(昭和52年2月28日指定)[7] - 鐘楼の横に、稲城市内最大(地上高112p)の板碑がある。この板碑は阿弥陀三尊の種子、「逆修道秀禅門」と刻まれた供養者名、「享徳三年甲戌八月時正日[注釈 1]」(1454年8月)の紀年銘、光明真言の梵字(悉曇文字)が左右2行に記されるなど、保存状態の良好な板碑である[2][9]。