妙見山_(大阪府・兵庫県)
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「能勢妙見山」はこの項目へ転送されています。山頂付近にある霊場については「能勢妙見山 (日蓮宗)」を、中腹にある寺院については「本瀧寺」をご覧ください。

妙見山

標高660.1 m
所在地兵庫県川西市、
大阪府豊能郡豊能町・能勢町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度55分44.328秒 東経135度27分59.245秒 / 北緯34.92898000度 東経135.46645694度 / 34.92898000; 135.46645694
山系北摂山系
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妙見山 - 地理院地図

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妙見山(みょうけんさん、みょうけんざん)は兵庫県大阪府にまたがる北摂山系に属する。目次

1 概要

2 歴史

2.1 山頂

2.2 中腹の滝


3 交通・アクセス

4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

概要

山体が信仰の対象であり、山頂近くには日蓮宗の関西地区における重要寺院である能勢妙見堂がある。能勢妙見堂は正式名称を無漏山真如寺境外仏堂(けいがいぶつどう)能勢妙見山と称し、能勢町地黄にある真如寺の飛び地境内であるが、本寺の真如寺よりもはるかに多くの参詣者を集めている。

山頂には4等三角点が設置されている。三角点の所在地は大阪府豊能郡豊能町で、記念碑の陰の目立たない場所に標識が設置されている[1]

当山は西南日本の標高600m付近でのブナの自生の南限とされ、これまでは大阪府側のみに分布すると考えられてきたが、兵庫県川西市で8本発見され(この個体群は2013年に兵庫県のレッドリストに追加された)[2]、さらに山頂付近のブナ林(9.5ヘクタール)が一部兵庫県側に入っていることが確認された[3][4]。大阪府下のブナ自生地は妙見山と和泉葛城山のみであり、いずれも天然記念物に指定されている。
歴史
山頂

山頂には行基の建立を伝える為楽山大空寺があった。鎌倉時代に入ると源満仲を祖とする能勢氏が領主となりその地に妙見菩薩を祀ったとされる。その後、江戸時代初期に当時の領主能勢頼次の帰依を受けた日乾(後の日蓮宗総本山である身延山久遠寺二十一世)の手によって新たな妙見菩薩像が彫られ、大空寺趾に建立した仏堂に祀ったのが現在の能勢妙見堂である。山頂の境内地に残るブナ林は一万年以上前から残る自然林である。そのことより、行基による大空寺建立以前から山頂付近には何らかの信仰があったことがうかがえる。
中腹の滝

北側中腹には能勢の本滝があり、江戸時代より滝に打たれる者が増えた。江戸時代中期に刊行された摂津名所図会には能勢の本滝ではなく妙見滝とあり、能勢妙見堂の参詣者が打たれた滝であった。当時、滝の横には常富堂があったとされる。1834年に編纂された能勢東郷志においても参詣者が行をする妙見山滝と記述されており、滝が境内地の一部として栄えていたことがうかがえる。

しかし、妙見山は旗本である能勢氏知行地であったため、明治政府の廃藩置県版籍奉還の影響を少なからず受け、その後天台宗修験道の僧侶である野間日照が、妙見瀧の地を野間中村より取得し居を構えた。1935年には野間日照により滝の横にあった常富堂を改築する形で本瀧寺(現在の妙見宗総本山)を建立した。現在、能勢の本滝までの山道に多くの石仏が祀られているのを見ることができるが、これは能勢の本滝が行場であった時代の名残である。


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