妙興寺
仏殿(一宮市指定有形文化財)
所在地愛知県一宮市大和町妙興寺2438
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度17分4.8秒 東経136度48分2.3秒 / 北緯35.284667度 東経136.800639度 / 35.284667; 136.800639
妙興寺(みょうこうじ)は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院。 山号は、長嶋山(ちょうとうさん)、寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称し、宗派は臨済宗妙心寺派に属する[1]。本尊は如意輪観世音菩薩・釈迦三尊、開山は滅宗宗興である[1]。周囲には、五つの塔頭がある。古より「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われる。
概要
現在では尾張地方の屈指の大禅寺となっている[2]。 創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っており、境内各所から出土する奈良時代の瓦によって8世紀には寺院建築が存在したことが確認されている。その後寺院は、いつしか衰退し廃寺になった。数百年後の貞和4年(1348年) 尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興
歴史
ところが、応仁の乱を境に足利将軍家の庇護を失い、戦国時代の戦乱によって多くの寺領を失い衰微する。一方で、前野広久による医王山天福寺の寄進のように、焼失した小規模の寺から寺領を寄進されることもあった[3]。
天正18年(1590年)寺の荒廃を憂いた豊臣秀次(あるいは豊臣秀吉)によって京都妙心寺から南化玄興が招聘され再興がはじまり、この時から妙心寺の末寺となった。秀次が200石を寄進した後、秀吉が300石を朱印地として宛てがい、後に松平忠吉に200石に減らされるも、これが尾張藩主によって代々安堵された。
明治23年(1890年)に火災で伽藍等の主要堂宇を焼失し[1]、方丈は明治26年(1893年)、庫裏は明治30年(1897年)にそれぞれ再建された。重要文化財の勅使門は、創建当初来の遺構を今日に至るまで伝えている。当門には1353年、後光厳天皇より賜った勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。 境内全域が愛知県指定史跡であり、一宮市博物館が設置されている
開山:大応国師 南浦紹明 延慶元年十二年廿九日遷化
創建:円光大照禅師 滅宗宗興 永徳元年七月十一日遷化
一世:正宗大暁禅師 峰翁祖一
二世:心王守性禅師 大興定菴
三世:大機円融禅師 聖翁享庵
四世:善一禅師
五世:伝心宗蜜禅師
六世:了山覚禅師
伽藍
勅使門 - 室町時代、国の重要文化財
総門 - 犬山城主成瀬正太の寄進
鐘楼 - 江戸時代、愛知県指定有形文化財
境内の伽藍配置
三門
勅使門(重要文化財)