妙本寺
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この項目では、神奈川県鎌倉市にある寺について説明しています。その他の妙本寺については「妙本寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

妙本寺
祖師堂(市指定有形文化財)[1]
所在地神奈川県鎌倉市大町1-15-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度19分3.3秒 東経139度33分20.9秒 / 北緯35.317583度 東経139.555806度 / 35.317583; 139.555806座標: 北緯35度19分3.3秒 東経139度33分20.9秒 / 北緯35.317583度 東経139.555806度 / 35.317583; 139.555806
山号長興山
宗派日蓮宗
寺格霊跡本山
本尊三宝尊
創建年文応元年(1260年)
開山日蓮[注釈 1]
開基比企能本
文化財銅造雲版(重要文化財)ほか
公式サイト日蓮宗霊跡本山 比企谷妙本寺
法人番号3021005001978
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臨滅度時の大曼荼羅本堂霊宝殿鐘楼総門二天門書院・庫裡日蓮聖人銅像一幡の袖塚源?子之墓比企一族供養塔前田利家室供養塔

妙本寺(みょうほんじ)は、神奈川県鎌倉市大町にある日蓮宗の本山(霊跡寺院)。山号は長興山。池上法縁五本山の一つ。[注釈 2]
歴史

妙本寺のある谷戸は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代には比企能員一族の屋敷があった。比企能員は源頼朝に仕えた有力御家人で、頼朝の乳母・比企尼の養子にあたり、妻は源頼家の乳母、娘の若狭局は頼家の妻となって一幡を生むなど、源将軍家とは深い関係を有した。その結果、頼朝の妻・北条政子の実家である北条氏とは対立するようになった。建仁3年(1203年)に頼家が病気で倒れると、千幡(後の源実朝)を推す北条氏と若狭局が生んだ一幡を推す比企氏の間で、後継争いが勃発した。能員は密かに頼家と北条氏討伐を謀るが、これを事前に察知した北条氏によって名越で謀殺される。比企一族は比企谷の谷戸に籠って戦うが敗北し、一族郎党は屋敷に火を放って自害した(比企能員の変)。その際、若狭局は井戸(一説には池)に身を投げ、一幡は戦火の中で死んだと伝えられている。

ただ一人生き残った能員の末子(後の能本)は助命され、和田義盛に預けられた後に安房国に配流となった。成人の後には京都に上り順徳天皇に仕え、承久の乱で順徳天皇が配流になると佐渡まで供をしたといわれている。更にその後、彼の姪にあたる竹御所(源頼家の娘・鞠子。寺伝では?子)が4代将軍・九条頼経御台所とになったことから、許されて鎌倉に帰った。しかし、文暦元年(1234年)に竹御所が難産の末に男子を死産し、そのまま本人も死去した。その際に、持仏であった釈迦如来像を祀るための釈迦堂の建立を遺言したという。この遺言を承け、嘉禎元年(1235年)に比企谷に新釈迦堂が建立され、竹御所はその下に葬られた。寛元元年(1243年)、比企一族の出身といわれる仙覚が新釈迦堂の住持となり、寛元4年(1246年)には頼経の命により万葉集諸本の校訂を成し遂げた[3]。 その後建長5年(1253年)、能本は鎌倉を訪れた日蓮に帰依、文応元年(1260年)には、父・能員と母の菩提を弔うべく新たに法華堂を建立し寄進した。その際に、日蓮が父に「長興」母に「妙本」の法号を授けたことから、寺号を「長興山妙本寺」と定めたと伝わっている。なお、日蓮没後には六老僧の一人・日朗が継承し、以後、比企谷妙本寺を本拠として長谷山本土寺長栄山本門寺等を管轄した。このことから日朗門流は「比企谷門流」と呼ばれ、この3ヶ寺を併せて「朗門の三長三本」[注釈 3]と称された。

このように比企谷門流にとって三長三本は重要な拠点であったが、本土寺は遠く離れていた事から3世以降に専従の住持が置かれたのに対し、妙本寺と本門寺は昭和16年(1941年)まで1人の住持が2ヶ寺を管轄する「両山一首制」によって護持されていた。更に、天正19年(1591年)に両山12世・佛乗院日惺が徳川家康の江戸入府に伴い本門寺に本拠を遷した為、貫首不在となった妙本寺には別当職に相当する「司務職」を置き比企谷全山を総理統監させた。なお歴代司務職には塔頭首座・本行院の住持が就任する慣わしとなった。[注釈 4] 門流の本拠が池上に遷ったとはいえ妙本寺と本門寺が同格であることに変わりはなく、最盛期には院家塔頭2院16坊を擁し、直末寺は比企谷池上両山併せて165カ寺、朱印領1貫500文を有する大寺として隆盛を極めた。その後、天保13年(1842年)には天保の改革にて廃寺となった感応寺の本堂の解体部材と厨子が遷された。この時運び込まれた解体部材は祖師堂下に貯蔵されていたが、明治8年(1875年)1月10日に発生した大火により身延山久遠寺が灰燼に帰した際に、久遠寺祖師堂再建の為にこの部材が使用された。昭和16年(1941年)に両山一首制から一山一首制に移行し、平成16年(2004年)には由緒寺院から霊跡寺院に昇格した。

現住は82世・鈴木日敬貫首(東京都墨田区法性寺より晋山)
伽藍・境内

本堂
昭和6年(1931年)に建立された木造入母屋造亜鉛葺。正面に安置されている釈迦牟尼佛像は、延宝5年(1677年)に岡藩4代藩主・中川久恒が長寿院妙応日慶の追善菩提の為に寄進したもの。

祖師堂
天保年間(1830?1844年)に47世・輪成院日教によって建立された鎌倉最大級(12間四面)の木造入母屋造瓦葺。

蛇苦止堂
大正14年(1925年)に再建された木造入母屋造瓦葺。比企能員の変の際に井戸(一説に池)に飛び込んで自害した若狭局(讃岐局とも)を祀る。後に若狭局が北条政村の息女に祟りをなした為、日蓮によって「蛇苦止大明神」として祀られたという。

鐘楼
昭和9年(1934年)に再建された木造瓦葺。

総門
関東大震災により倒壊したが、本行院67世司務職・田中日肝の尽力により大正14年(1925年)に再興された。

二天門
天保年間(1830?1844年)に本行院54世司務職・慈光院日恭によって建立された木造朱塗銅板葺の八脚門。持国天及び毘沙門天を祀る。

方丈門
昭和48年(1973年)に建立された鉄骨造黒塗の冠木門。

霊宝殿
昭和41年(1966年)に建立された鉄筋コンクリート造。天保年間に移築された釈迦堂が関東大震災で倒壊し、その跡地に建てられた。

書院・庫裡
昭和7年(1932年)に再建された木造入母屋造瓦葺及び亜鉛葺。

日蓮聖人銅像
平成14年(2002年)に立教開宗並びに鎌倉開教750周年を記念して建立された。

一幡の袖塚
比企能員の変の後に焼け遺ったとされる一幡の袖を埋めた供養塚。

源?子之墓
竹御所の廟所。天保年間に釈迦堂が祖師堂横に移築された際に跡地を廟所とした。

比企一族供養塔
祖師堂正面向かって右手にある。比企能員夫妻・比企能本夫妻を始めとする比企一族の廟所。

蛇苦止の井
若狭局(讃岐局とも)が身を投げたという井戸。蛇苦止堂の脇にある。

前田利家室供養塔
加賀藩藩祖・前田利家の側室で2代藩主・利常の母である千代保の方の供養塔と伝えられる大五輪塔


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