妙寿寺
妙寿寺(2020年)
所在地東京都世田谷区北烏山5丁目15番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分45.3秒 東経139度35分38.9秒 / 北緯35.679250度 東経139.594139度 / 35.679250; 139.594139
妙寿寺(みょうじゅじ)は、東京都世田谷区北烏山にある寺院。法華宗(本門流)に属し[2]、当初は「妙感寺」と号した[4]。大本山妙蓮寺末。創建当時は江戸谷中にあり、1662年(寛文2年)に武蔵国葛飾郡猿江村に移転した後に関東大震災により当地に再移転した[注釈 1][3][4][5]。妙寿寺は、通称「烏山寺町」と呼ばれる26の寺院が立ち並ぶ地域に最初に移転した寺院の1つである[6][7]。2008年(平成20年)には、妙寿寺客殿(旧蓮池藩鍋島家住宅)が世田谷区指定有形文化財となっている[1][6]。 妙寿寺の歴史は、江戸時代の寛永8年(1631年)に始まっている[1][4][5]。創建は本光院日受(後に鷲山寺16世となる、慶安元年7月28日寂)で、当初は「妙感寺」と号した[4][8][8]。創建当時は江戸谷中清水町(現在の台東区池之端)にあったが、1662年(寛文2年)に寺地が寛永寺の火除用地として幕府から上地を命ぜられた[1][8]。 2世の信入院日崇(後に妙蓮寺第3中興20世となる、元禄2年2月4日寂)は学識と人徳を備えた高僧として知られ、その人柄に惹かれて帰依する信徒が多かったと伝わる[9]。
歴史