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妖星ゴラス
GORATH[出典 1]
監督
本多猪四郎(監督)
円谷英二(特技監督)
脚本木村武
原作丘美丈二郎
製作田中友幸
出演者
池部良
久保明
白川由美
水野久美
志村喬
音楽石井歓
撮影
小泉一(本編)
有川貞昌(特撮)
富岡素敬(特撮)
編集
兼子玲子(本編)
石井清子(特撮)[注釈 1]
製作会社東宝[出典 2][注釈 1]
配給東宝[6][8][注釈 1]
公開 1962年3月21日[出典 3]
上映時間88分[出典 4]
製作国 日本
言語日本語
製作費3億8,000万円[17]
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『妖星ゴラス』(ようせいゴラス)は、1962年(昭和37年)3月21日に公開された日本の特撮映画[11][12]。製作、配給は東宝[5]。カラー、東宝スコープ、多元磁気立体音響[出典 5]。同時上映は『紅の空』[出典 6]。 謎の燃える怪星ゴラスと地球との衝突を回避するため、地球の公転軌道を変えようと奮闘する人々を描く[3][16]。制作背景には、ソ連によるボストーク1号の有人宇宙飛行の成功など、宇宙開発に注目が集まっていた世相に乗っている[出典 7]。 円谷英二による東宝特撮映画50本目の集大成を目指して、構想3年、制作費3億8,000万円、撮影日数300日、特撮パートが全体の3分の1を占める超大作として製作された[17][20]。従来の特撮映画では、物を破壊するシーンに特撮を用いることが主であったが、本作品ではジェットパイプ基地の建設描写に注力していることが特徴である[21]。 本編では、宇宙飛行士の地上での生活や宇宙船を巡る社会情勢などを描いており、宇宙飛行士が当たり前の職業として存在している近未来を表現している[22]。 脚本を担当した木村武は、本作品は怪獣映画の「怪獣」を「妖星」に置き換えたものであり、脚本は型どおりでも見せ場のあり方が変わったと述べている[23]。 本作品について田中は、ハードSFに真っ向から挑戦した力作であったが、怪獣映画ほどの興行にはならなかったと述懐している[24]。 2018年6月には日本映画専門チャンネルの特集「東宝特撮王国」の1つとして、HDリマスター版が放送された[25][26]。 SF作家の山本弘が2009年に発表したSF小説『地球移動作戦』は、この作品へのオマージュとして書かれた小説である[27]。 1979年[28][4][注釈 2]9月29日午後8時、土星探査の任務を負った日本の宇宙船JX-1・隼号が、富士山麓宇宙港から打ち上げられた。しばらくして、パロマー天文台は質量が地球の6,000倍あるという黒色矮星・ゴラスを発見したと発表する。隼号の艇長・園田は最もゴラスに近い位置にいることを鑑み、急遽その探査に任務を変更するが、超引力に飲み込まれ、引力圏内に捉えられてしまう。脱出不可能と判断した園田は「地球からの観測データは誤っている」と最後まで観測を続け、データを送信した隼号はゴラスへ衝突して大破し、クルー全員が殉職する。 隼号の遭難はクリスマスに湧く日本に衝撃を与え、最後に送信されたデータから導き出された「ゴラスは大きさこそ地球の4分の3だが、今の進路を保てば2年半後に地球に衝突する」という結論は、世界中に衝撃を与えた。 日本宇宙物理学会の田沢博士と河野博士は事態を危惧するが、政府も対策に本腰を入れようとせず、またこれを自分の問題として捉える人々も少なかった。隼号の姉妹艇JX-2・鳳号の若いクルーたちは「先輩たちに続け」と意気込むが、ゴラスの再観測が重要ゆえに打ち上げは莫大な予算を要するという現実に直面する。 思うに任せぬ中、田沢と河野は園田の孫・速男の「ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、その2つしかないじゃないか」という言葉に活路を見出し、国連科学会議で「重水素ならびに三重水素を利用したロケット推進装置を南極に設置し、100日間で地球を40万キロメートル移動させて軌道を変える」という「地球移動計画」を提案する。当初は疑問視されるが、アメリカやソ連も似たような研究を行っていたことから、南極に結集した世界中の技術によって巨大ジェットパイプが建造されていく。
解説
あらすじ