司馬遼太郎の同名小説については「妖怪 (司馬遼太郎)」を、平岩弓枝の同名小説については「鳥居耀蔵#鳥居耀蔵を扱った作品」をご覧ください。
「妖」はこの項目へ転送されています。堂本光一のシングル曲については「妖 ?あやかし?」を、福山雅治の楽曲については「妖 (福山雅治の曲)」をご覧ください。
「提灯お岩」:葛飾北斎
「鬼童丸」:歌川国芳
「猫また」『百怪図巻』:佐脇嵩之
「犬神」『百怪図巻』:佐脇嵩之
「二口女」: 絵本百物語
「土蜘蛛」『新形三十六怪撰』:月岡芳年
妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象、あるいは、それらの現象を起こす不可思議な力を持ち科学で説明できない存在のことである。妖(あやかし)、物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
妖怪という存在は、日本古来のアニミズムや八百万の神(やおよろずのかみ)の思想、あるいは、人々の日常生活の決まり事や自然界の法則などに深く根ざしている[1][2]。その一方で、人々が理解せず信じない存在や現象にも妖怪になりうるものがあるとされる[1][3]。
明治時代初期に近代化を進める明治政府により、科学的に説明不可な古い風習などは迷信とされ、妖怪も抑圧対象の一つとなった[4]。しかし、民俗学者の柳田国男は、各地の一般の人々の歴史や生活の変遷などを探る民俗学の研究対象の一つとして、妖怪についても全国各地で現地調査を行い、「遠野物語」をはじめ多くの出版物や講演などを通して、古いものにこそ価値があり、それを知ることは各自の地域がどのようにして今に至ったかを知ることになり、その地域の将来を考える上で重要だと説き、妖怪や怪談なども徐々に見直されることとなった[4]。
概要「蝦蟇妖怪」
『西鶴と浮世草子研究 第二号 特集[怪異]』[5]玉箒木「鳴釜」
『百器徒然袋』:鳥山石燕
時代ごとに人間が超自然現象と感じる事象の範囲は異なるが、時代を遡れば遡るほど、その範囲は広かったと考えられる[6]。
古来のアニミズム的な思想において、あらゆる事象に宿るとされていた霊的存在は「物の気」などとも表現されてきた[7]。霊魂はそれぞれが感情を持つと信じられており、和んでいれば豊作のような吉事をもたらす「和魂」であり、荒れていれば災害や疫病のような凶事をもたらす「荒魂」であるとし、荒魂を和魂に変える手段が「祭祀」であり「鎮魂」であった[8]。一般的に先祖や偉人、地域によって時には自然や動物も和魂として守り神となってもらえるように祀り続ける一方で、その時代では解明できない凶事と畏怖をもたらす存在も、祀ることで凶事をもたらさなくなるよう鎮魂が試みられてきた[9][10]。つまり、元々は妖怪的存在とは荒魂のうち祀られなかった、祀ることに失敗した、もしくは祀り捨てられた存在に求めることができるといえる[11][12]。
もっとも、時代の進行に伴い、超自然現象ではなく合理的に説明できる事象の範囲が著しく増加していく。同時に、妖怪を盛んに絵巻や絵として造形化することにより見た目の固定化、キャラクター化が進み、畏れは和らぎ、時代の流れとともに妖怪は娯楽の対象へと移り変わっていく。娯楽化の傾向は中世から徐々に見られ始め[13]、江戸時代以降に決定的なものとなる[14]。風俗史学者の江馬務は、『日本妖怪変化史』や『おばけの歴史』などで妖怪と変化を取り上げ、以下のいくつかの分類を試みている。
「本体」がどのようなものであるか、類似しているかという「人間・動物・植物・器物・自然物」の5種の分類
どのように「化ける」かという変化の「現世的・精神的・輪廻的(来世的)・具象的」の4種の分類