女衒 ZEGEN
監督今村昌平
脚本今村昌平
岡部耕大
出演者緒形拳
倍賞美津子
音楽池辺晋一郎
撮影栃沢正夫
『女衒 ZEGEN』(ぜげん、Zegen)は、1987年公開の日本映画である。東映・今村プロダクション製作、東映配給。
明治後期から昭和初期に東南アジアで女郎屋経営や女衒などをしていたという村岡伊平治の生涯を描く[1]。監督は映画『楢山節考』以来4年ぶりのメガホンを執った今村昌平で、1987年の第40回カンヌ国際映画祭に出品した[2]。目次 幼なじみの女性、しほが香港で娼婦勤めをしていると知った伊平治は、娼館に乗り込みしほを救い出すが、これをきっかけに娼館を経営することになる。
1 あらすじ
2 キャスト
3 スタッフ
4 製作
4.1 企画
4.2 製作
4.3 製作発表
4.4 脚本
4.5 タイトル
4.6 撮影
5 作品の評価
5.1 興行成績
6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク
あらすじ
キャスト
村岡伊平治:緒形拳
しほ:倍賞美津子
王:柯俊雄
朝長:三木のり平
上原大尉:小西博之
長太:深水三章
源吉:杉本哲太
島田:殿山泰司
雑貨屋:レオナルド熊
西山:常田富士男
久光領事:寺田農
国倉領事:河原崎長一郎
キノ:熊谷真美
トメ:池波志乃
ほか 今村昌平は、1981年の『ええじゃないか』の後[3]、当時の岡田茂東映社長に会って「死ぬまでにどうしてもやりたい企画が三本ある」と話し、『楢山節考』『黒い雨』『村岡伊平治(女衒 ZEGEN)』の3本を挙げたら「3本ともうちでやりましょう」と引き受けてくれたと述べている[3][4]。3本とも今村が長年温めていた企画で『村岡伊平治』も20年来の企画であった[5][6]。 1983年の『楢山節考』が東映には珍しい国際映画賞をもたらしたことから[7]、充分な製作費が今村に与えられた[2][8]。製作費8億円[5][9]。今村は『楢山節考』の次は『黒い雨』を考えていたが、青春時代を共有した浦山桐郎が急死したことで、自分にも時間がない、『黒い雨』よりエネルギーがいる『村岡伊平治伝』を先にやりたいと決意した[10][11]。『楢山節考』から本作の製作まで間が空いたのは、今村の学校、日本映画学校の第1回作品『君は裸足の神を見たか』(ATG)のプロデュース業や学校の移転作業で多忙だったためで[5]、1986年1月に東映と今村プロの提携製作が決まると共同脚本の岡部耕大と製作準備に入り、今村は単独で1986年元旦よりシナハン・ロケハンを始め[12]、正式には1986年3月下旬から、4月上旬にかけて、台湾、マレーシアでシナハン・ロケハンを実施し製作がスタートした[5][10]。 1986年8月22日、東京會舘で製作発表が開かれた[9][13]。岡田東映社長は「女衒のテーマは今村さんが探求してきた素材の一つ。シナリオも良く出来ているし期待している。来年度大作にする」と話した[13]。「東映と今村君でリスクを背負い合ってやる。このテのものは監督の情念の凄さで作品の出来栄え、興行価値が決まる。異色作になる。事と次第で大きく化けるテのものだ」[14]、「東映が不得意なものは全部才能のある人に任せたらいい。全部任せてひと言もいわない方がいい。その代わり、君の方も背水の陣でやってくれと伝えた」などと話した[15]。 本作製作中にも五社英雄が東映で女衒ものを連作していたため[16]、岡田は1987年の『キネマ旬報』のインタビューで「女衒ものはもうない」「今村さんがちょうどうまい具合に企画を持ってきた」[16]、五社や今村が東映以外で撮ると上手くいかないとの評価については[16]、「僕が作り方のヒントを最初にやるんだ。そうすると彼らは職人中の職人だから、こなすのも早いんだ」などと話した[16]。 池端俊策は1979年の『復讐するは我にあり』の後、今村から「俺がやりたい原作は『楢山節考』『黒い雨』『村岡伊平治(女衒 ZEGEN)』だ」と言われ、池端が「『村岡伊平治』をやらして下さい」と言ったら、「分かった、テレビでもやりながらでもいいから考えてろ」と資料を渡されたと話している[17]。
スタッフ
監督:今村昌平
脚本:今村昌平、岡部耕大
音楽:池辺晋一郎
撮影:栃沢正夫
美術:横尾嘉良
照明:岩本保夫
録音:紅谷愃一
編集:岡安肇
スチール:加藤光男
助監督:佐藤武光、月野木隆
プロデューサー:杉山義彦、武重邦夫、大庭二郎
製作:東映、今村プロダクション
企画:三堀篤、滝田五郎
製作
企画
製作
製作発表
脚本
Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef