女王_(皇族)
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この項目では、日本の皇族の身位・称号について説明しています。その他の用法については「女王」をご覧ください。

称号:女王


敬称女王殿下
Her Imperial Highness the Princess

女王(じょおう、にょおう、:Princess)は、皇族身位または称号の一つ。またはその身位を与えられた皇族のこと。敬称は殿下
現在の女王
皇室典範
第5条
皇后太皇太后皇太后親王親王妃内親王王妃及び女王を皇族とする。
同第6条
嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を、女を女王とする。
同第7条
王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする。※引用註:()内は現代かな遣い・新字体に改め、句読点を補ったもの
皇室典範第三十條
皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃?親王王王妃女王ヲ謂フ(皇族と称うるは太皇太后・皇太后・皇后・皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃・親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王を謂う)
同第三十一條
皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ内親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス(皇子より皇玄孫に至るまでは、男を親王、女を内親王とし、五世以下は、男を王、女を女王とす)
同第三十二條
天皇支系ヨリ入テ大統ヲ承クルトキハ皇兄弟姉妹ノ王女王タル者ニ特ニ親王?親王ノ號ヲ宣賜ス(天皇支系より入て、大統を承くるときは、皇兄弟姉妹の王・女王たる者に、特に親王・内親王の号を宣賜す)

現行の皇室典範では、歴代の天皇の直系卑属の男系女子の内、三親等以上離れた者に付与される。これに対して同様の男性皇族は、と称する。

女王は次のいずれかに当てはまる場合、内親王に身位が変更される。
皇位の継承によって嫡出の皇子または嫡男系嫡出の皇孫となった場合。(皇室典範第6条)

女王の兄弟たる王が皇位を継承した場合。(皇室典範第7条)


現在の女王…以下の三名。

読み生年月日現年齢続柄世数
彬子女王あきこ1981年(昭和56年)12月20日42歳皇再従妹[注釈 1]/ 大正天皇の皇曾孫
/ェ仁親王第一女子三世
瑶子女王ようこ1983年(昭和58年)10月25日40歳皇再従妹/ 大正天皇の皇曾孫
/ェ仁親王第二女子三世
承子女王つぐこ1986年(昭和61年)3月8日38歳皇再従妹/ 大正天皇の皇曾孫
/高円宮憲仁親王第一女子三世


栄典…皇族身位令に準じ、成年となったときに宝冠牡丹章を授与される(2003年平成15年)11月2日までに成年に達した場合は勲二等宝冠章であった)。

英語表記…内親王と女王の区別無く Princess が用いられる。

       

  天皇 

               
          
  天皇 一世親王 一世内親王 

                 
     
  嫡流
(正統) 二世親王 二世内親王 

                
     
      三世王 三世女王 

               

      (永世にわたり王)     


歴史
律令制以前

「女王」の初出は、古事記において、応神天皇以降の天皇の男系子孫は、世数、男女を問わず、諱の下に「王」と表記された(よみは「おおきみ」)。その他の文献には、女性を「女王」とした他、「命」を用いる例、諱のみの例もあって一定せず、表記に揺れがある。やがて、一世子女の場合は「皇子」/「皇女」と表記されるようになり、「王」/「女王」は二世孫以下を指すようになった[1]

一方、世数が下った王は、「王」にかわり「公」(きみ)を用い、同時に新しい氏を名乗る例があり、臣籍降下の原型とされる[2]
律令における規定

大宝令養老令において、皇室に関わる成文法が定められ、称号の整理が行われる。この時、天皇の兄弟と一世子女が親王、二世孫以下は王と定められた(内親王・女王は、女性であることを明示しない場合は、親王・王と称されることもあった)[3]。また、臣籍降下の目安も定められており、皇親(天皇の親族の意、皇族とほぼ同義)の扱いを受けるのは四世王までで、五世孫は王/女王の称号は認められるが皇親からは外れ、六世孫で臣籍降下、とされた(四世以内で臣籍降下した例もあった)[4]

       

  天皇 

               
          
  天皇 一世親王 一世内親王 

                 
     
  嫡流
(正統) 二世王 二世女王 

                
     
      三世王 三世女王 

                
     
      四世王
(ここまで皇親) 四世女王
(ここまで皇親) 

                
     
      五世王
(皇親外) 五世女王
(皇親外) 

               

      六世孫
(臣籍降下)     

天平元年(729年)8月5日、格により、六世孫・七世孫であっても、生母が二世女王[注釈 2]である場合は、全員皇親とされた[5]。が、皇親の人数が増加したことにより、不良行為をなすものが増えたことから、延暦17年(798年)閏5月23日、桓武天皇の勅命により、皇親の範囲を元へ戻す[5]
女王の婚姻相手の制限

以下のように規定された。

天皇・一世親王二世王三世王四世王五世王臣下
一世内親王婚姻可能
二世女王婚姻可能
三世女王
四世女王
五世女王婚姻可能

ただしこの規定は、女王の婚姻相手を確保できない問題があったため、天平元年(729年)8月5日、聖武天皇の詔勅によって緩和され、二世?四世女王と六世王の婚姻が認められる。更に、延暦12年(793年)9月10日、桓武天皇の詔勅により、女王と臣下の者(現任の大臣の家または良家に限る)との婚姻も認められた(二世女王は藤原氏の者に限る)。摂関気になると、藤原氏が内親王を妻に迎える例も出るようになり、この規定は空文と化した[6]

平安中期以降は、皇親が急増して、世数をもとに機械的に身位を与えることにより国庫への負担が増していたことから、親王宣下臣籍降下の運用により、男性皇族の人数のコントロールが図られる。しかし女性皇族については、皇親の範囲規定は男系であり、女王の身位は世襲されない、一代限りのものであることから、男兄弟と較べると人員コントロールの対象にはならずに、身位を保持したまま一生を終えることが多く、王と較べると女王の人数は多かった[7]

平安時代初期以降、高御座の御帳を?げ開く「?帳命婦」は、女王の務めとなった(当該項目を参照)。

明治22年(1889年)1月15日制定の皇室典範において、世数の変更が行われ、四世孫までが内親王、五世孫以下が女王とされる。また、女王が臣下の者と婚姻した場合は、従来はそのまま女王の身位を保持するものとされていたが、これを改め、身位を返上、臣籍降下をすることとされた(降嫁、旧皇室典範第14条・現行皇室典範第12条)。皇族同士で婚姻をした場合は、夫の身位にあわせて親王妃または王妃の身位が新たに与えられ、皇后となる場合を除き[注釈 3]、二つの身位を併用する(内親王も同様)[注釈 4]

       

  天皇 

               
          
  天皇 一世親王 一世内親王
(臣籍降嫁) 

                 
     
  嫡流
(正統) 二世親王 二世内親王
(臣籍降嫁) 

                
     
      三世親王 三世内親王


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