1986年の日本の女性史における同名雑誌とは異なります。
女性
ジャンル女性誌、文芸誌
読者対象近代女性
刊行頻度月刊(毎月1日発行)
発売国 日本
言語日本語
出版社プラトン社
発行人松阪青渓
『女性』(じょせい)は、かつて存在した日本の月刊誌である。大阪の中山太一率いる「クラブ化粧品」の中山太陽堂(現クラブコスメチックス)傘下の出版社「プラトン社」が、大正末年に発行、「阪神間モダニズム」の勃興に寄与したことで知られる。 1922年(大正11年)、中山太陽堂は、同社の顧問に自由劇場、松竹蒲田撮影所前所長の小山内薫を迎え、出版社「プラトン社」を設立した。経営は中山の実弟・中山豊三であった。小山内を編集長に、中山太陽堂から出向させた図案家(イラストレーター)の山六郎に装丁やタイトルロゴ、扉絵等のヴィジュアルワークを担当させ、同年4月に「5月1日付」で、創刊となった[1]。おもな執筆者には、泉鏡花、谷崎潤一郎、武者小路実篤、大佛次郎、与謝野晶子ら[2]。 タイトルロゴの「女性」の書体は、山の考案によるものである。この書体は一世を風靡し、まもなく無声映画の看板やのぼり旗に多用される人気書体となる。山がアール・デコ調の表紙画や装丁を、翌年からは山名文夫もカットを手がけ、山名の同誌での活動は、のちに資生堂で開花することになる。 1923年(大正12年)には、編集者として直木三十五、川口松太郎、図案家として山名、岩田専太郎らが同社に入社し、同年12月には雑誌『苦楽』(第1期)が創刊している[2]。 『女性』は、『苦楽』とともに、プラトン社が廃業する1928年(昭和3年)5月まで発行された[2]。 その後、長らく「幻の雑誌」と呼ばれ、全体を目にすることはできなかったが、休刊後60年の歳月を経て、1991年(平成3年)9月 - 1993年(平成5年)9月、鶴見俊輔監修、津金澤聡廣
略歴・概要
ビブリオグラフィ
復刻版
第1巻第1号 - 第4巻第5号、1922年(大正11年)5月1日 - 1923年(大正12年)11月1日発行
1-9巻、日本図書センター、1991年9月 ISBN 4820570250
第5巻第1号 - 第6巻第6号、1924年(大正13年)1月1日 - 同年12月1日発行
10-16巻、日本図書センター、1992年2月 ISBN 4820570366
第7巻第1号 - 第8巻第6号、1925年(大正14年)1月1日 - 同年12月1日発行
17-24巻、日本図書センター、1992年7月刊 ISBN 4820570455
第9巻第1号 - 第10巻第6号、1926年(大正15年)1月1日 - 同年12月1日発行
25-32巻、日本図書センター、1992年12月 ISBN 4820570552
第11巻第1号 - 第12巻第6号、1927年(昭和2年)1月1日 - 同年12月1日発行
33-42巻、日本図書センター、1993年4月 ISBN 482057065X
第13巻第1号 - 第13巻第5号、1928年(昭和3年)1月1日 - 同年5月1日発行
43-48巻、日本図書センター、1993年9月 ISBN 4820570773
関連事項
苦楽
演劇・映画
キング (雑誌)
ハウスオーガン (en:House organ)
註^ 「高畠華宵大正ロマン館」公式サイト内の記事「 ⇒山六郎」の記述を参照。
^ a b c クラブコスメチックス公式サイト「 ⇒資料室」リンク先の記述を参照。