「女性に関する十二章」(じょせいにかんするじゅうにしょう)は、作家伊藤整のエッセイ。『婦人公論』1953年1月?12月号に連載。1954年、中央公論社から単行本として刊行されベストセラーになった。 東宝により映画化され1954年11月23日に公開された。上映時間は87分。モノクロ。同時上映は『あんみつ姫 妖術比べの巻 製作を担当した藤本真澄が映画化を熱望し、監督を担当する市川崑と2人で原作者の伊藤の自宅へ赴き、許諾を得てから製作が開始されたが、原作が十二章に分かれた恋愛講座であるため、ストーリー性のある脚本を、原作者の伊藤を交えて、市川と妻の和田夏十によるオリジナルドラマが書き上げられた[1]。
映画
企画製作
スタッフ
監督:市川崑
シナリオ:和田夏十
原作:伊藤整
製作:藤本真澄
撮影:三浦光雄
美術:河東安英
音楽:黛敏郎
録音:西川善男
文芸映画という文化自体を嫌悪する熊谷孝によれば、「原作の人気に頼っていながら題名だけ拝借し、原作とは別の脚本を採用した安易な作品である。原作者をナレーションに起用したことも商魂逞しい。(要約)」という厳しい評価がある[2]。
脚注^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P107?108
^ 文芸映画はもうたくさんだ 熊谷孝
表
話
編
歴
市川崑
1947 - 1949年
東宝千一夜(1947年)
-「眞知子」より- 花ひらく(1948年)
三百六十五夜 東京篇・大阪篇(1948年)
人間模様(1949年)
果てしなき情熱(1949年)
1950年代
銀座三四郎(1950年)
熱泥地(1950年)
暁の追跡(1950年)
夜来香(1951年)
恋人(1951年)
無国籍者(1951年)
盗まれた恋(1951年)
ブンガワンソロ(1951年)
結婚行進曲(1951年)
ラッキーさん(1952年)
若い人(1952年)
足にさわった女(1952年)
あの手この手(1952年)
プーサン(1953年)
青色革命(1953年)
天晴れ一番手柄 青春銭形平次(1953年)
愛人(1953年)
わたしの凡てを(1954年)
億万長者(1954年)
女性に関する十二章(1954年)
青春怪談(1955年)
こころ(1955年)
ビルマの竪琴(第一部・第二部)(1956年)
処刑の部屋(1956年)
日本橋(1956年)
満員電車(1957年)
東北の神武たち(1957年)
穴(1957年)
炎上(1958年)
あなたと私の合言葉・さようなら、今日は(1959年)
鍵(1959年)
野火(1959年)
1960年代
女経(第2話「物を高く売り付ける女」)(1960年)
ぼんち(1960年)
おとうと(1960年)
黒い十人の女(1961年)
破戒(1962年)
私は二歳(1962年)
雪之丞変化(1963年)
太平洋ひとりぼっち(1963年)
ど根性物語 銭の踊り(1964年)
東京オリンピック(1965年)
トッポ・ジージョのボタン戦争(1966年)
第50回全国高校野球選手権大会 青春(総監督)(1967年)
1970年代
愛ふたたび(1971年)
時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日(「最も速く」)(1973年)
股旅(1973年)
吾輩は猫である(1975年)
妻と女の間(1976年)
犬神家の一族(1976年)
悪魔の手毬唄(1977年)
獄門島(1977年)
女王蜂(1978年)
火の鳥(1978年)
病院坂の首縊りの家(1979年)
1980年代
古都(1980年)
幸福(1981年)
細雪(1983年)