奥野僚右
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奥野 僚右

名前
カタカナオクノ リョウスケ
ラテン文字OKUNO Ryosuke
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1968-11-13) 1968年11月13日(55歳)
出身地京都府京都市
身長174cm
体重70kg
選手情報
ポジションDF
利き足右
ユース
京都府立山城高等学校
早稲田大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1993-1999鹿島アントラーズ 185 (1)
2000川崎フロンターレ 25 (0)
2001サンフレッチェ広島 21 (1)
2002-2003ザスパ草津
監督歴
2002-2003ザスパ草津
2012-2013モンテディオ山形
2020-2021ザスパクサツ群馬
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

奥野 僚右(おくの りょうすけ、1968年11月13日 - )は京都府京都市上京区出身の元サッカー選手(DF)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。
来歴・人物

90年代の鹿島アントラーズを支えた一人。93年に鹿島に加入すると、開幕スタメンに輝き、大野俊三とのコンビで活躍。上背はないが、読みと指示能力に優れたポジショニングで、カバーリングにも優れていたスイーパーだが、怪我により、サントリーシリーズ途中からは杉山誠が代わりに出ていた。

その後はフィジカル・ヘディングの強いストッパータイプの秋田豊とのセンターバックコンビを組んだ。

Jリーグで通算231試合の出場を記録。2002年からザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)に選手兼任監督として移籍、チームを群馬県リーグ1部から日本フットボールリーグに昇格させた。その功績を称えて背番号31番は永久欠番となっている。

2012年11月、プロ野球球団の北海道日本ハムファイターズがドラフト1位指名した大谷翔平(花巻東高)と入団交渉した際、提示した資料「夢への道しるべ?日本スポーツにおける若年期海外進出の考察?」に、資料作成協力者として、日本ハム球団ホームページ内の資料に名前が記載されている[1]

2012年よりモンテディオ山形のトップチーム監督に就任。2013年限りで退任した。

2019年12月17日、17年ぶりに群馬の監督に復帰すると発表された[2]。同年12月、最終順位こそ20位ながらも当月を4勝1分無敗で終えたとして、J2の月間優秀監督賞に選出された。[3]

2021年7月5日 4勝5分12敗(20位)の降格圏でシーズンを折り返した時点でクラブより解任が発表され、後任には久藤清一ヘッドコーチの就任が発表された。[4]

同年8月6日、鹿島アントラーズのコーチに就任したが[5]、同年12月に退任した[6]
所属クラブ

京都紫光クラブ

京都市立上京中学校

京都府立山城高校

早稲田大学

1993年 - 1999年 鹿島アントラーズ

2000年 川崎フロンターレ

2001年 サンフレッチェ広島

2002年 - 2003年 ザスパ草津

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦
リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
1993鹿島-J1106051221
19942600010270
1995401-40441
19962903030350


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