この項目では、東京都世田谷区の町名について説明しています。その他の用法については「奥沢 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 世田谷区 > 玉川地域 > 奥沢
奥沢
町丁
奥沢の街並み
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度36分13.13秒 東経139度40分18.95秒 / 北緯35.6036472度 東経139.6719306度 / 35.6036472; 139.6719306
奥沢(おくさわ)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は奥沢一丁目から奥沢八丁目。郵便番号は158-0083[2]。玉川地域に属する。 世田谷区南部の玉川地域に属する。町域は東急大井町線緑が丘駅付近を東端とし、北は九品仏川緑道を境に目黒区自由が丘・緑が丘、南は環八通り・世田谷区東玉川・玉川田園調布・大田区田園調布等に接しながら、九品仏駅と尾山台駅の間で世田谷区等々力と接するところまで広がる。東急目黒線奥沢駅が置かれ、その駅前を南北に自由通りが、西に向かって等々力通りが通る。主に住宅地として利用されている。町内には、奥沢神社、九品仏浄真寺等がある。 田園調布、自由が丘と隣接し高級住宅地として人気が高い。近年は「奥沢」ブランドのスイーツ、カフェ等も定着している。 戦前は参謀本部、海軍大学校、海軍横須賀鎮守府等へのアクセスの良さから海軍高級士官が多く住み、奥沢一丁目・二丁目中心に現在もその子孫が多数居住している。奥沢二丁目に奥澤海軍町記念碑が残されている。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、奥沢5-14-26の地点で95万5000円/m2となっている[4]。 貞和頃から吉良氏の所領となり、奥沢城が築かれた。江戸時代には荏原郡奥沢村となり、城の跡地には浄真寺が創建された。1622年(寛文2年)西の開墾地が奥沢新田村として分村した。天保頃には奥沢村が奥沢本村、奥沢新田村が奥沢村と称されるようになった。 1876年(明治9年)に両村が合併し、再び両地域を合わせて奥沢村となった。1889年(明治22年)、市町村制施行に伴い周辺町村と合併、玉川村の大字となる。大正期から田園都市株式会社により宅地開発が進められ、1932年(昭和7年)世田谷区成立時に開発地が玉川田園調布として分離し、残りが玉川奥沢町となる。1970年(昭和45年)、住居表示を実施して現在に至る。 地名は呑川の支流九品仏川水源の湿地帯であることを指す。 実施後実施年月日実施前(各町名ともその一部) 2024年(令和6年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。 丁目番地小学校中学校 また、上記のほか二丁目の東側で区境をまたいだ所に緑が丘駅(東急大井町線、目黒区緑が丘)があり、二丁目・五丁目の北側、六丁目・七丁目の東側は自由が丘駅(東急東横線・大井町線、目黒区自由が丘。特急・急行停車駅)に近接している。 いずれも東急バスの路線である。
地理
地価
歴史
地名の由来
町名の変遷
奥沢一丁目1970年3月1日玉川奥沢町1の一部
奥沢二丁目玉川奥沢町1の一部
奥沢三丁目玉川奥沢町1の一部
奥沢四丁目玉川奥沢町2、玉川田園調布2の各一部
奥沢五丁目玉川奥沢町2、玉川田園調布2の各一部
奥沢六丁目玉川奥沢町3の一部
奥沢七丁目玉川奥沢町3、玉川等々力町3の各一部
奥沢八丁目玉川奥沢町3の一部
世帯数と人口
奥沢一丁目2,633世帯5,226人
奥沢二丁目2,514世帯4,386人
奥沢三丁目2,222世帯3,953人
奥沢四丁目1,188世帯2,189人
奥沢五丁目2,146世帯3,438人
奥沢六丁目1,791世帯3,265人
奥沢七丁目1,956世帯3,550人
奥沢八丁目1,144世帯2,164人
計15,594世帯28,171人
小・中学校の学区
奥沢一丁目1?5番
13?21番
27?29番
38?49番
57?65番世田谷区立東玉川小学校世田谷区立奥沢中学校
その他世田谷区立奥沢小学校
奥沢二丁目1?6番
17?31番
41?49番
その他世田谷区立八幡小学校世田谷区立八幡中学校
奥沢三丁目全域世田谷区立奥沢小学校世田谷区立奥沢中学校
奥沢四丁目全域世田谷区立八幡小学校世田谷区立八幡中学校
奥沢五丁目全域
奥沢六丁目1番
8?9番
18?23番
28?34番
その他世田谷区立九品仏小学校
奥沢七丁目1?8番世田谷区立八幡小学校
その他世田谷区立九品仏小学校
奥沢八丁目全域
交通
鉄道
奥沢駅(東急目黒線)
元住吉検車区奥沢車庫
九品仏駅(東急大井町線)
バス
多摩01系統が、目黒区の東京医療センターから都立大学駅、緑が丘駅、奥沢駅を通り、大田区雪が谷へ抜けて多摩川駅を結ぶ。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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