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奥村 靫正(おくむら ゆきまさ、1947年12月4日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、画家。
イエロー・マジック・オーケストラ (YMO) 、大瀧詠一、ピンク・レディー、山下達郎、チェッカーズ、崎谷健次郎などアーティストのレコード・CDジャケットデザインを始め、ポスターなどの広告デザイン、CIロゴデザイン、ブックデザインやステージデザイン、舞台美術等、多くのジャンルを手掛ける。
TSTJ Inc.主宰。東京アートディレクターズクラブ、東京タイプディレクターズクラブ、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員[1]。愛知県出身。 桑沢デザイン研究所卒業[2]。1970年、デザイン・ユニット「WORKSHOP MU!!」設立に参加する。はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、ムーンライダーズ、ティン・パン・アレー、小坂忠、細野晴臣、加藤和彦など日本のロックミュージックの数々のアルバムデザインに携わる。その作風は日本画の大和絵の流派に源をもつという。以降は、自ら描く水彩画・日本画の他、コラージュ、構成主義的なものやコンピュータグラフィックス (CG) を使ったものまで幅が広がった。 1977年、事務所「THE STUDIO TOKYO. JAPAN.」を設立する。主にYMOのアートディレクターを務めた。また、ザ・チェッカーズのデビュー当初の髪形(チェッカーズ・カット)やテキスタイル(チェック柄)などを総合プロデュースし、衣装スタイリングは、秋山道男、日笠雅子(現、日笠雅水)、本多三記夫(Bijin) と共に務めた。 1982年、YMOコンサートツアー「ウィンター・ライヴ1981」のステージデザインを担当。この年から、グラフィック分野でADC賞を連続4回受賞する。 1984年、YMOの写真集「SEALED」の雑誌広告・エディトリアルデザインを担当する。 1986年、細野晴臣 / 中沢新一「観光」のブックデザインを担当する。 1992年、崎谷健次郎のCDアートディレクションを担当する。 2005年、女子美術大学芸術学部ヴィジュアルデザイン専攻教授に就任し、2013年3月まで務めた。 2007年、「The One Show」にて金賞を受賞。作品は企業ポスターなど多数。 2013年、女子美術大学特任教授を1年間務めた。 2014年、ADC賞を受賞する。
来歴
主な作品
レコード・CDシングル
1973年
細野晴臣「恋は桃色
1974年
内田裕也と1815ロックンロールバンド「マンジョキロックンロール / ジョキ安ブギ」
1976年
細野晴臣「北京ダック / Black Peanuts」
1981年
ピンクレディ「Last Pretender / AMENIC」
矢野顕子「春咲小紅 / 在広東少年」
1982年
細野晴臣「夢見る約束」(ソノシート)
1983年
チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」
小池玉緒「鏡の中の十月 / Automne Dans Un Miroir」
1992年
崎谷健次郎「HEAVENLY SKY」
崎谷健次郎「CHEERS!TOKYO」
レコード・CDアルバム
1971年
小坂忠「ありがとう」
成田賢「眠りからさめて」
1972年
大滝詠一「大瀧詠一」
麻田浩「GREETINGS from NASHVILIE」
ミッキー・カーチス「耳」
1973年
はっぴいえんど「HAPPY END」
加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド「SADISTIC MIKA BAND」
細野晴臣「HOSONO HOUSE」
1975年
ティン・パン・アレー「キャラメル・ママ」
1976年
鈴木慶一とムーンライダーズ「火の玉ボーイ」