この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "奥州街道"
奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋または江戸城大手門を起点[1]として千住から白河へと至る街道である。下野国宇都宮宿以南の区間は日光街道と共用されており[2]、宇都宮宿伝馬町の追分で日光街道と分岐していた。 五街道としての奥州街道は正式には奥州道中といい、厳密には江戸幕府道中奉行の直轄下にあった白沢宿から白河宿までの10宿の道筋を指した[3]。白河以北の17宿は幕府勘定奉行の管轄であり、賃銭などの統制のほかは、海道沿線の領主や旗本の管理に任されていた[3]。白河以南・以北を合わせ、本項の扱う奥州街道は道中に27の宿場が置かれた。江戸時代には江戸と陸奥国さらには蝦夷地間の物流が増加しており、白河はその中継地点として賑わい、奥州街道沿線では下野国宇都宮に次ぐ人口を擁するなど繁盛した。 現在、東京と東北方面を結ぶ国道4号旧道の栃木県宇都宮市以北の区間が「奥州街道」と呼ばれている。白河以北の一部区間では陸羽街道・仙台道・松前道・外が浜道などの名称が併用されていた[2]。 奥州街道の前身は鎌倉時代に成立した中路および奥大道(鎌倉街道)である。 江戸時代初期には主に東北諸藩の参勤交代の交通・連絡に用いられたが、江戸中期には蝦夷地開発のため、江戸末期にはロシアからの蝦夷地防衛のために往来量が増加した。蝦夷地松前宿 岩手県岩手郡岩手町から二戸郡一戸町に至る街道跡の7区間、延長8.86 kmが、「盛岡市の北方に位置するかつての一戸宿周辺には、浪打峠をはじめ往時の姿をとどめる街道跡、一里塚が良好に残っており、近世の交通の歴史を知る上で貴重である」として、国の史跡「奥州街道」に指定されている。 宿場令制国郡現在の自治体特記事項
概要
白河以北
史跡
宿場
都道府県市区町村
0. 大手門
0. 日本橋武蔵国豊島郡東京都(特別区)千代田区
中央区江戸城正門
五街道の起点
1. 千住宿足立郡足立区水戸街道が分岐
2. 草加宿埼玉県草加市
3. 越ヶ谷宿埼玉郡越谷市
4. 粕壁宿春日部市
5. 杉戸宿葛飾郡北葛飾郡杉戸町
6. 幸手宿幸手市日光御成街道・筑波道が分岐
7. 栗橋宿久喜市
8. 中田宿下総国茨城県古河市
9. 古河宿古河城下
10. 野木宿下野国都賀郡栃木県下都賀郡野木町
11. 間々田宿小山市
12. 小山宿日光西街道・結城道・佐野道・栃木道が分岐
13. 新田宿
14. 小金井宿下野市
15. 石橋宿
16. 雀宮宿河内郡宇都宮市
17. 宇都宮宿宇都宮城下
日光街道・壬生道・鹿沼道・田原道・新里道・大谷道が分岐
18. 白沢宿
19. 氏家宿塩谷郡さくら市
20. 喜連川宿喜連川城下
21. 佐久山宿那須郡大田原市
22. 大田原宿
23. 鍋掛宿
24. 越堀宿
25. 芦野宿那須郡那須町
26. 白坂宿磐城国白河郡福島県白河市
27. 白河宿白河小峰城下
白河以北
29. 小田川宿
30. 太田川宿西白河郡泉崎村
31. 踏瀬宿
32. 大和久宿矢吹町
33. 中畑新田宿
34. 矢吹宿水戸街道が分岐