「奥山義行」とは別人です。
おくやま きよゆき
奥山 清行
TEDxTokyo 2010の講演にて
生誕1959年(64 - 65歳)
日本・山形県山形市
別名Ken Okuyama(ケン・オクヤマ)
職業インダストリアルデザイナー
著名な実績ピニンファリーナ デザインディレクター他
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奥山 清行(おくやま きよゆき、1959年 - )は、日本の工業デザイナー、カーデザイナー。日本国外では Ken Okuyama(ケン・オクヤマ)の活動名義で知られる。
イタリアピニンファリーナ社デザインディレクター(Creative Director[1])を経て2006年9月に独立。KEN OKUYAMA DESIGNのCEO[2]。山形県山形市出身。 ゼネラルモーターズのチーフデザイナー、ポルシェのシニアデザイナーを務めた後[3]、1995年にイタリアのデザイン会社ピニンファリーナにいちデザイナーとして入社[4]。1998年に日本人初の同社チーフデザイナーに就任し[4]、フェラーリ・エンツォフェラーリ、マセラティ・クアトロポルテなどのカーデザインを担当した。特にエンツォフェラーリのデザインに関しては「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として話題となった[5]。2004年に同社のデザインディレクターに就任した後[4]、「やりたいことを全てやったから」との理由で2006年にピニンファリーナを退社した。 退社後に設立したKEN OKUYAMA DESIGNのCEOを務め、山形に工場と店舗、東京の青山に店舗、ロサンゼルスに事務所を構え、自動車、鉄道車両、農業機械、家具、ロボット、化粧品、眼鏡、腕時計、テーマパーク、鉄道駅内装などのデザインを手掛ける。 2008年から川崎重工業のデザインチームと組み、新幹線や地下鉄、海外向けLRTのデザイン監修を行っている[6]。また「地元の伝統技術を活かして付加価値の高い商品を開発し海外に展開する」という概念のもと、自身の出生地である山形での活動に力を入れており、自ら立ち上げた「山形工房」ブランドを中心に家具(天童木工)や照明、急須等のデザインも手掛けている[7]。 このほか、Kode7やKode9、kode57、kode0、ワンオフカーなどのKEN OKUYAMA DESIGN独自のスポーツカーを開発・製造・販売している[8]。
人物
来歴
1959年(昭和34年):山形県山形市にて出生。
1966年(昭和41年)4月:山形大学教育学部附属小学校(現・山形大学附属小学校)入学。
1972年(昭和47年)
3月:小学校卒業。
4月:山形大学教育学部附属中学校(現・山形大学附属中学校)入学。
1975年(昭和50年)
3月:中学校卒業。
4月:山形県立山形東高等学校入学[9]。
1978年(昭和53年)
3月:高等学校卒業。
4月:武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科入学[9]。
1983年(昭和58年)3月:大学卒業。
1985年(昭和60年):アメリカ合衆国に渡り、アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒業。
1986年(昭和61年):ミケロッティ・ジャパンが主催した、第3回ミケロッティ・デザイン コンペティションでグランプリ該当なしの優秀賞を受賞。
1995年(平成7年):ピニンファリーナに入社[4]。
1998年(平成10年):ピニンファリーナのチーフデザイナーに就任[4]。
2000年(平成12年):アートセンター・カレッジ・オブ・デザインのトランスポーテーション・デザイン学部長に就任[10]。