奥多摩湖
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小河内ダム

左岸所在地東京都西多摩郡奥多摩町大字原5番地
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分23秒 東経139度03分03秒 / 北緯35.78972度 東経139.05083度 / 35.78972; 139.05083
河川多摩川水系多摩川
ダム湖小河内貯水池 (通称「奥多摩湖」)
ダム諸元
ダム型式直線重力式非溢流型コンクリートダム
堤高148.0 m
堤頂長353.00 m
堤体積1,675,680
流域面積425.0 km²
湛水面積1,150.0 ha
総貯水容量189,100,000 m³
有効貯水容量185,400,000 m³
利用目的上水道水力発電
事業主体東京都水道局
電気事業者東京都交通局
発電所名
(認可出力)多摩川第一発電所
(19,000kW
施工業者鹿島建設
着手年/竣工年1936年/1957年
出典 ⇒小河内ダム[東京都](おごうち) 一般財団法人日本ダム協会運営サイト「ダム便覧2021」、 ⇒水力発電所データベース 多摩川第一 一般社団法人電力土木技術協会
備考工事中断: 1943年 - 1947年
土木学会選奨土木遺産2018年
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奥多摩湖奥多摩湖の航空写真。1976年度撮影
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

奥多摩湖(おくたまこ)は、東京都西多摩郡奥多摩町山梨県北都留郡丹波山村小菅村に跨る人造湖。正式名称は小河内貯水池(おごうちちょすいち)。東京都水道局が保有・管理する小河内ダム(おごうちだむ)で多摩川上流部を堰き止めて、1957年昭和32年)に完成した[1]

貯水容量は約1億9000万立方メートル[1]。竣工当時、上水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池だった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇っている。現在、東京都の水源利根川水系を主としているが[2]、渇水時の水瓶として極めて重要な役割を担っている。水質は取水口近くで調査されているほか、水質観測船「みやま丸」により湖の9カ所で毎月調査されている[1]

また、東京都交通局水力発電施設(多摩川第一発電所)も併設されており[3]、発電された電気は東京電力へ売却され、奥多摩町・青梅市などの東京多摩地域に電力を供給している。湖畔には様々な見どころや観光施設があり、首都圏のオアシスとしても知られている。
歴史

建設計画自体は昭和初期に遡る。しかし、ダム建設予定地である旧小河内村の用地買収の難航、着工寸前に起こった神奈川県との水利権を巡る水利紛争、太平洋戦争激化による建設工事の中断などにより、着工から19年の歳月をかけて竣工した。

1926年大正15年) - 東京市がダム建設候補地の調査を開始。

候補地の中から水量や地質などの立地条件などを勘案し、条件が揃った東京府西多摩郡小河内村が最終的に選定される。


1931年(昭和6年) - 小河内村が絶対反対を表明。

1932年(昭和7年) - 東京市が東京府に認可申請。

「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」との再三にわたる説得に、小河内村はやむを得ずこれを了承する[4]

ダム建設用地の買収開始。


1933年(昭和8年) - 東京府、神奈川県と水利紛争。

1936年(昭和11年) - 水利紛争解決。

内務大臣内務省)より東京府に事業認可。東京府より東京市に建設が許可され、着工。


1938年(昭和13年)11月12日 - 起工式。

1943年(昭和18年)

7月1日 - 東京都制施行(東京府と東京市は廃止)。

10月5日 - 第二次世界大戦激化により建設工事を中断。


1948年(昭和23年)9月10日 - 東京都、建設工事を再開。

1950年(昭和25年)8月 - 日本共産党東京都委員会が小河内ダム対策委員会を設置。

1952年(昭和27年)

1月 - 日本共産党がダム破壊活動を目的とした山村工作隊を派遣。3月29日以降、警察に検挙され失敗。

11月 - 氷川駅(現:奥多摩駅)から水根駅までの東京都水道局小河内線が開通。


1953年(昭和28年)

3月19日 - ダムコンクリート打込開始。

3月26日 - 定礎式


1955年(昭和30年)4月1日 - 小河内村、氷川町古里村合併して奥多摩町に。

1957年(昭和32年)

5月 - 東京都水道局小河内線が運行休止。

6月6日 - 湛水開始。

7月21日 - ダムコンクリート打込終了。

11月26日 - 竣工。


1961年(昭和36年)10月25日 - 昭和天皇香淳皇后が小河内ダムを視察。

1975年(昭和50年)12月1日 - 第2号取水設備着工。

1980年(昭和55年)

3月31日 - 第2号取水設備竣工。

10月15日 - 当時の皇太子夫妻(明仁上皇上皇后美智子)が小河内ダムを視察。


2006年平成17年)3月 - ダム湖百選に選定。

2007年(平成18年)11月14日 - 小河内ダム完成50周年記念式典を開催(旧:小河内村村民約300人も参加)。

2018年(平成30年)9月28日 - 小河内ダム、平成30年度土木学会選奨土木遺産に認定[5]

奥多摩湖に流入する河川

丹波川(
多摩川) - 小菅川 - 峰谷川

生態系

流入河川を含めて、以下の魚介類が棲息または棲息すると推定されている[6]


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