小河内ダム
左岸所在地東京都西多摩郡奥多摩町大字原5番地
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分23秒 東経139度03分03秒 / 北緯35.78972度 東経139.05083度 / 35.78972; 139.05083
奥多摩湖(おくたまこ)は、東京都西多摩郡奥多摩町と山梨県北都留郡丹波山村・小菅村に跨る人造湖。正式名称は小河内貯水池(おごうちちょすいち)。東京都水道局が保有・管理する小河内ダム(おごうちだむ)で多摩川上流部を堰き止めて、1957年(昭和32年)に完成した[1]。
貯水容量は約1億9000万立方メートル[1]。竣工当時、上水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池だった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇っている。現在、東京都の水源は利根川水系を主としているが[2]、渇水時の水瓶として極めて重要な役割を担っている。水質は取水口近くで調査されているほか、水質観測船「みやま丸」により湖の9カ所で毎月調査されている[1]。
また、東京都交通局の水力発電施設(多摩川第一発電所)も併設されており[3]、発電された電気は東京電力へ売却され、奥多摩町・青梅市などの東京多摩地域に電力を供給している。湖畔には様々な見どころや観光施設があり、首都圏のオアシスとしても知られている。 建設計画自体は昭和初期に遡る。しかし、ダム建設予定地である旧小河内村の用地買収の難航、着工寸前に起こった神奈川県との水利権を巡る水利紛争、太平洋戦争激化による建設工事の中断などにより、着工から19年の歳月をかけて竣工した。 流入河川を含めて、以下の魚介類が棲息または棲息すると推定されている[6]。
歴史
1926年(大正15年) - 東京市がダム建設候補地の調査を開始。
候補地の中から水量や地質などの立地条件などを勘案し、条件が揃った東京府西多摩郡小河内村が最終的に選定される。
1931年(昭和6年) - 小河内村が絶対反対を表明。
1932年(昭和7年) - 東京市が東京府に認可申請。
「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」との再三にわたる説得に、小河内村はやむを得ずこれを了承する[4]。
ダム建設用地の買収開始。
1933年(昭和8年) - 東京府、神奈川県と水利紛争。
1936年(昭和11年) - 水利紛争解決。
内務大臣(内務省)より東京府に事業認可。東京府より東京市に建設が許可され、着工。
1938年(昭和13年)11月12日 - 起工式。
1943年(昭和18年)
7月1日 - 東京都制施行(東京府と東京市は廃止)。
10月5日 - 第二次世界大戦激化により建設工事を中断。
1948年(昭和23年)9月10日 - 東京都、建設工事を再開。
1950年(昭和25年)8月 - 日本共産党東京都委員会が小河内ダム対策委員会を設置。
1952年(昭和27年)
1月 - 日本共産党がダム破壊活動を目的とした山村工作隊を派遣。3月29日以降、警察に検挙され失敗。
11月 - 氷川駅(現:奥多摩駅)から水根駅までの東京都水道局小河内線が開通。
1953年(昭和28年)
3月19日 - ダムコンクリート打込開始。
3月26日 - 定礎式。
1955年(昭和30年)4月1日 - 小河内村、氷川町、古里村と合併して奥多摩町に。
1957年(昭和32年)
5月 - 東京都水道局小河内線が運行休止。
6月6日 - 湛水開始。
7月21日 - ダムコンクリート打込終了。
11月26日 - 竣工。
1961年(昭和36年)10月25日 - 昭和天皇・香淳皇后が小河内ダムを視察。
1975年(昭和50年)12月1日 - 第2号取水設備着工。
1980年(昭和55年)
3月31日 - 第2号取水設備竣工。
10月15日 - 当時の皇太子夫妻(明仁上皇・上皇后美智子)が小河内ダムを視察。
2006年(平成17年)3月 - ダム湖百選に選定。
2007年(平成18年)11月14日 - 小河内ダム完成50周年記念式典を開催(旧:小河内村村民約300人も参加)。
2018年(平成30年)9月28日 - 小河内ダム、平成30年度土木学会選奨土木遺産に認定[5]。
奥多摩湖に流入する河川
丹波川(多摩川) - 小菅川 - 峰谷川
生態系