奈良県立郡山高等学校
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奈良県立郡山高等学校
奈良県立郡山高等学校(2008年9月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度38分59.7秒 東経135度46分47.4秒 / 北緯34.649917度 東経135.779833度 / 34.649917; 135.779833座標: 北緯34度38分59.7秒 東経135度46分47.4秒 / 北緯34.649917度 東経135.779833度 / 34.649917; 135.779833
過去の名称奈良縣立郡山中學校
奈良縣尋常中學校
奈良縣郡山尋常中學校
大阪府立郡山中學校
大阪府立堺師範學校分校郡山學校
堺県師範學校分局郡山學校郡山師範予備校
国公私立の別公立学校
設置者奈良県
学区全県一学区
併合学校奈良県立郡山城東高等学校
奈良県立郡山農業高等学校
奈良県立城内高等学校
校訓誠実・剛毅・雄大
設立年月日【郡山師範予備校】
1876年(明治9年)
【奈良県尋常中學校】
1893年(明治26年)10月1日
創立記念日10月1日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードD129210000245
高校コード29108A
所在地639-1011
奈良県大和郡山市城内町1番26号(冠山学舎)
奈良県大和郡山市城内町2番45号(城内学舎)[注釈 1]
外部リンク公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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奈良県立郡山高等学校(ならけんりつこおりやまこうとうがっこう、: Nara Prefectural Koriyama Senior High School)は、奈良県大和郡山市に所在する公立高等学校。略称は「郡高(ぐんこう)」。郡山城二の丸跡に立地する[1]
設置学科

普通科(一般選抜)

概要

1876年明治9年)創立の小学校教員養成施設「郡山師範予備校」を源流とする「奈良県尋常中学校」(旧制中学校)が前身である。創立年を1893年(明治26年)としており、2023年令和5年)に創立130周年を迎えた。奈良県内の公立高等学校の中で最も古い歴史を持つ。
生徒定員・教職員数
生徒数はおよそ1080名、教職員数はおよそ100名、各学年9クラス360名(2015年(平成27年)度までは10クラス400名)の大規模校である。男子生徒よりも女子生徒が多い。
校訓
「誠実・剛毅・雄大」 - 旧制中学校時代の1913年大正2年)に制定。
校章
現校章は2004年(平成16年)城内高等学校と統合された際に新たに制定された。郡山高校の旧校章より花弁を、旧城内高校の校章よりウマゴヤシを継承して重ね合わせ、郡山城址の石垣が支えている形を図案化したもの。中央に校名の「郡高」の文字(縦書き)を置く。現校章の制定に際し、旧郡山高校及び旧城内高校の卒業生多数から反対意見が寄せられた。
校歌
作詞は岡本敬子、作曲は山岸貞一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「郡高」が登場する。
校地・施設
2004年(平成16年)に奈良県立城内高等学校を統合し、県内の公立高等学校最大規模のマンモス校となった。2018年3月末までは、従来の校舎を「冠山学舎」、旧城内高等学校の校舎を「城内学舎」として両方を使用していた。両学舎間の移動には、徒歩で5分ほどかかった。また、桜花グラウンド・小グラウンド(冠山学舎)、第一グラウンド・第二グラウンド(城内学舎)の計4つのグラウンドがあった。城内学舎は2018年3月に閉鎖され[注釈 2]、以降は冠山学舎のみで教育活動を行っている。
特色
2000年度(平成12年度)から2007年度(平成19年度)まで65分授業(5限)を行っていたが、2008年度(平成20年度)から、50分授業(6限、火・木は7限)を行うこととなった。2年より文系と理系に分かれるシンプルな教育課程となっている。3年より選択科目を増やして様々な進路に対応できるようにしている。
同窓会
「冠山会」(かんざんかい)と称している。旧制・郡山中学校、郡山高等女学校、郡山農業学校、郡山高等学校、郡山城東高等学校、城内高等学校すべての卒業生を会員としている。
分校
現在分校は存在しないが、かつて平群町に平群分校(昼間定時制)が存在した。現在では「あすのす平群」(平群町立図書館・観光文化交流館)となっており、「郡山高校平群分校記念碑」が立てられている。
沿革

1876年明治09年)

4月 - 奈良県が堺県に統合される。

8月 - 小学校教員の養成を目的として、南郡山村三の丸邸内に「郡山師範予備校」[2]が開校。

10月 -「堺県師範学校分局郡山学校」[2]と改称。


1881年(明治14年)

1月 - 現位置(城址二の丸)に新校舎が完成。

2月 - 堺県が廃止され、大阪府に統合される。

3月 -「大阪府立堺師範学校分校郡山学校」[2]と改称。

10月 -「大阪府立郡山中学校」(旧制中学校)に改称。


1887年(明治20年)11月 - 中学校令施行および奈良県再設置により、「奈良県郡山尋常中学校」と改称。

1893年(明治26年)10月1日 -「奈良県尋常中学校」に改称。この年を創立年、この日を創立記念日とする。

1896年(明治29年)4月1日 - 畝傍(うねび)と五條に分校を設置。

1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の全面改正と分校の独立により、「奈良県立郡山中学校」に改称。

畝傍分校が奈良県立畝傍中学校、五條分校が奈良県立五條中学校として独立。


1913年大正02年)8月 - 校訓「誠実・剛毅・雄大」を制定。

1943年昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が従来の5年から4年に短縮される。

1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。

1945年(昭和20年)

3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限短縮の前倒しが行われ、5年生と4年生の合同卒業式を挙行[注釈 3]

4月 - 戦況の悪化により授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。

8月 - 終戦。

9月 - 授業が再開される。


1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。

旧制中学校の募集を停止。

新制中学校を併設し、旧制中学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となった(4年で卒業することもできた)。


1948年(昭和23年)

4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)が行われる。

旧制・郡山中学校が廃止され、新制高等学校「奈良県立郡山高等学校」(男子校)が発足。

旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

併設中学校は新制高校に継承され(名称:奈良県立郡山高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


5月 - 同窓会を冠山会と命名。


新制高等学校(男女共学)


1948年(昭和23年)

9月1日 - 高校三原則に基づき、公立高校の統合・再編が行われる。

県立郡山高等学校(男子校)・町立郡山城東高等学校(女子校)・県立郡山農業高等学校の3校が統合され、総合制の「奈良県立郡山高等学校」が発足。

男女共学を開始。


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