奈良きたまち (ならきたまち)は、奈良県奈良市の古くからの中心市街地である奈良町の一部で、ならまちの北側[1]。明確な境界線はないが、およそ大宮通りの北、やすらぎの道の東、東大寺周辺およびその西、京都府より南の地域を指す[2]。 古代平城京以来の痕跡を地域のあちこちにとどめている。平城京の張り出し部分 「外京(げきょう)」 の東北部にあたり、東西の 「一条通」・「二条通」 のあった辺りに、当時より細くなった道路が残っている。さらにその中間にあった 「二条条間路」 も姿を残す。また南北の 「東七坊大路」 は国道369号として存在。 江戸 - 昭和期の町並みが残り、「法蓮格子」 と呼ばれる様式を用いた町家が見られる。般若寺町には洋風建築の奈良少年刑務所、北魚屋西町には重要文化財の奈良女子大学記念館などがある。また南都八景として知られる八か所のうち、佐保川、雲居坂、轟橋、東大寺鐘はこの地域にあり、春日野の鹿が歩く姿を見かけることもある。 江戸時代、東大寺の西を北に向かう奈良街道には、奈良の北の玄関口として旅籠や商店が並び、京都へ通じるこの街道を中心に栄えた地域であった。また奈良女子大学はかつての奈良奉行所跡であり、またその少し北の西笹鉾町は奈良代官所
概要
東西をつなぐ一条通りは明治の一時期、大仏鉄道の駅から東大寺の転害門へ向かう参道としても栄えた。町を一望した多聞山城は松永久秀が16世紀半ばに築き、近世城郭のモデルとなった四層の天守を備え、宣教師ルイス・フロイスがその美しさを称賛。安土城の築城にも影響を与えたとされる。
1998年(平成10年)8月、「奈良街道町づくり研究会」 が設立され、「喜び多い街」、「何か懐かしい来たことのある街」、「また来たい街」(きたまち) をキャチフレーズに活動を行っている。
2004年(平成16年)、奈良市が 「奈良まちかど博物館」[4] を認可し、現在13箇所の施設が一般公開されている。
2012年(平成24年)7月、奈良女子大学前にあった旧鍋屋交番が改修され、「きたまち案内所」 として使用されている[5]。
施設・名所般若寺 十三重石塔奈良少年刑務所正門旧鍋屋交番
数多くの史跡・名所が点在する。およそ北東から南西へ順に。
奈良豆比古神社(ならつひこじんじゃ) - 奈良阪町。
本殿の裏に巨大なクスがあり、奈良県天然記念物に指定されている。また前の道路沿いに大型の石の道標が残り、「いせみち」 など詳しい表示がある。
西福寺 - 奈良阪町。
平安時代後期の木造阿弥陀如来立像など、重要文化財指定の仏像多数を伝える。
奈良少年刑務所 - 般若寺町。
1908年(明治41年)の洋風レンガ造り建築。
植村牧場 - 般若寺町。
間近で牛たちを見ることができる。また、乳製品を現場で食べられる。
般若寺(はんにゃじ) - 般若寺町。
真言律宗の寺。境内中央にある高さ12.6メートルの石造十三重塔
近鉄奈良駅から北へ徒歩10 - 15分。各奈良駅奈良交通バス奈良阪・青山住宅行「今小路」・「手貝町」下車。
外部リンク
⇒奈良まちかど博物館
⇒きたまち 歴史のモザイク ?奈良きたまちの観光・歴史探訪?
脚注^ 奈良市 (2017年2月). “ ⇒「新奈良町にぎわい構想」”. 2017年5月16日閲覧。
^ 「 ⇒きたまち散策マップ」を参照。
^ 『和州奈良之図』 絵図屋庄八、天保15年(1844年)。 ⇒奈良県立図書情報館蔵
^ ⇒奈良まちかど博物館 を参照。
^ ⇒奈良女子大学のページ を参照。
^ 「ならざか の いし の ほとけ の おとがひ に こさめ ながるる はる は き に けり」。