福島県南相馬市にあった同名の木については「#南相馬市の一本松」をご覧ください。
奇跡の一本松
保存作業前、2011年5月21日
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座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度0分12.48秒 東経141度37分30.43秒 / 北緯39.0034667度 東経141.6251194度 / 39.0034667; 141.6251194
奇跡の一本松(きせきのいっぽんまつ)は、岩手県陸前高田市気仙町の高田松原跡地に立つ松の木のモニュメントである。東日本大震災の震災遺構のひとつ。
太平洋につながる広田湾に面した高田松原(以下「松原」と略記)は、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り[3]、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅した。しかし、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、東日本大震災(以下「震災」と略記)が陸前高田市のみならず広く東日本の太平洋沿岸地域一帯に甚大な被害をもたらした中にあって、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになり[4]、「奇跡の一本松」や「希望の松」などと呼ばれるようになった。
震災後、この木を保護する活動が続けられたものの、根が腐り枯死と判断された。その後、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられている。この作業には多額の費用が投じられたこともあって、保存の是非を巡っては賛否両論が巻き起こった。
以下、本項目ではこの木を「一本松」と略記する。 一本松はアイグロマツ(アカマツとクロマツの交雑種)[5]で、高さは約27.7メートル、胸高直径は87センチメートル[6]である。1985年の調査によれば、松原の松のうち老齢の木がもっとも多い区画(樹齢200年程度)における樹高が約25メートル、平均胸高直径が約70 - 80センチメートル[7]であり、これらに比べても一本松はとりわけ大ぶりな個体である。 一本松の付近では江戸時代中期に松が植栽されていたこと、またその中でも一本松は特に背が高かったことから、地元では樹齢270年前後であると言われていた[8]が、木材組織学を専門とする京都大学名誉教授の伊東隆夫が鑑定したところ、1839年(天保10年)に芽吹き、2012年5月に枯死していたことが分かり、樹齢は173年と判明した[9]。地元での説と実際の鑑定結果との間に大きな差が出た理由について、伊東は「年輪を見ると成長が著しかった時期がある。大木であるため、樹齢200年以上だと思われていたのも無理はない」と話している[10]。 一本松が立っているのは、松原の西に位置する陸前高田ユースホステルの敷地内である[11]ため、日本ユースホステル協会が所有者であった[12]が、2017年11月6日からは陸前高田市が所有者となっている。これは、国・岩手県・陸前高田市が周辺一帯を高田松原津波復興祈念公園として整備することに伴い、一本松の管理を行政側で行うために、所有権移管の協定を日本ユースホステル協会と陸前高田市の間で結んだことによるものである[13]。
一本松の概要
東日本大震災による被災一本松近くの道の駅高田松原前にあったガソリンスタンド(現在は移転)。津波の水位は看板の高さを超える15.1メートルにまで達した。