奄美料理
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九州で知名度の高い奄美大島の鶏飯(けいはん)

奄美料理(あまみりょうり)は、鹿児島県奄美群島郷土料理 。地元奄美の方言では島料理(しまじゅうり)と呼ばれる[1]沖縄料理薩摩料理の影響を受けているが、鶏飯レバーの味噌漬け、苦瓜の粒味噌炒め、ヒザラガイの酢味噌和え、油ぞうめんパパイヤ漬けなどの独特の料理も存在する。甘口の粒味噌、蘇鉄味噌が調味料の主役で[2]黒糖を加えた総じて甘めの味付けが特徴。
概要

奄美群島の有人8島(北から奄美大島喜界島加計呂麻島請島与路島徳之島沖永良部島与論島)は、沖縄県と同じく周囲をに囲まれた亜熱帯の気候風土にあり、歴史的に中国東南アジアとの海上交易の通路にあり、琉球王国薩摩藩の支配を受けたことから、これらの地域の料理の影響を大きく受けている。

また、現在の経済作物がサトウキビ(うぎ)や柑橘類などの果実であり、は主要な作物ではなく、近海漁業が行われていることなどの条件によって、沖縄料理と共通の食材が多く使われている。例えば、黒糖黒豚アグー)を塩蔵した豚肉ヤギタカサゴ(うるめ)、ブダイ(いらぶち)、スジアラ(はーじん)、ハマダイ(あかまち)、アオダイ(うんぎゃるまつ、ほた)、ソデイカなどの海産物、タイモ(たうむ)、スイゼンジナ(はんだま)、パパイア(まんじゅまい)などが特徴的な共通食材で、酢味噌を使う伝統的な刺身の食べ方も同じである。炒め物や魚のから揚げが好まれるのも中国料理の影響が強い沖縄料理と共通する。

一方で、粒味噌、キビナゴ煮干しなどの調味料、豚骨や野菜の甘辛い煮物などの調理方法は沖縄県八重山列島の郷土料理とも共通し、七草粥(なんかんじょせ、七日の雑炊)、あくまきなどの行事食[2]ハヤトウリ(せんなり)などの食材では薩摩料理の影響が窺える。

また、鰹節黒豚豚味噌つき揚げ苦瓜ヘチマツワブキのように沖縄、薩摩と(黒豚はさらに韓国済州島などとも。ただし、現在のかごしま黒豚外来種。)共通する食材もある。

喜界島では白ゴマ(ぐま)、徳之島ではショウガ、沖永良部島ではアラゲキクラゲ(みんぐり)、島桑の葉や実、与論島ではモリンガソデイカタチウオといった島毎の特産食材も使われる。

気温が高い場所で清酒の製造には向かないため、蒸留酒が主流であることは沖縄県、九州各地と共通するが、沖縄県インディカ米デンプン原料とする泡盛鹿児島県トカラ列島以北がサツマイモをデンプン原料とする芋焼酎が主流であるのに対して、奄美群島ではサトウキビの糖分であるショ糖と米のデンプンをアルコール原料とする奄美黒糖焼酎が特産で、主流である。黒糖焼酎は料理にも使われ、浜下りなどの伝統行事のお清めにも使われる。
調理法

他の日本料理と同様に、煮物(にりむん)が基本であるが、沖縄料理と同じく、日本の本土の料理と比べて炒め物が多い。炒め物は奄美大島では「いっき」、喜界島では「いっちゃーしー」、沖永良部島では「あぎ」と呼ばれる。から揚げなどの揚げ物は奄美大島で「あげぃむん」という。
沖縄料理との違い左上から玉子味噌、魚味噌、烏賊味噌、地豆味噌

沖縄本島の沖縄料理、または琉球料理は、奄美大島では那覇料理(なはじゅうり)とも呼ばれ[1]、奄美料理とは区別されている。地理的にも沖縄本島と近く、琉球王国、特に北山王国から長期間支配された与論島沖永良部島の料理が特に沖縄料理の影響が強いのを別にすると、奄美大島など徳之島以北の料理と沖縄料理とには、一定の違いも見られる。沖縄からの移住者が多い喜界島では折衷的な特徴が見られる。沖縄県内でも宮廷料理の影響が低い八重山列島などの料理は奄美料理との共通性も高い。

伝統的な琉球料理は中国料理の影響を直接受けているが、奄美料理への影響は限定的、間接的である[1]

奄美料理では粒味噌や蘇鉄味噌(なりみす)をよく使う。蘇鉄味噌は沖縄県では現在粟国島などに限られる食材、調味料であるが、かつては八重山列島などでも作られていた。

沖縄本島では一般的でない魚味噌(ゆんみす)、烏賊味噌(いきゃみす)がよく作られる。魚味噌は八重山列島にもある。

沖縄そばを食べる習慣がない。一部の店舗では乾麺インスタントのものが売られていたり、観光客向けの食堂で提供する例もあるが、本土における沖縄そばと同様で、一般的な食材ではない。

天ぷらに沖縄料理のような厚い衣を付けず、本土と同じか、さらに少ない薄い衣である。

昆布は沖縄料理ほど多用されない。

いわゆる沖縄ちゃんぽん(ご飯物の一種)、野菜と共にフライパンで炒めるすき焼きじゅーしーのような沖縄本島で一般的な定食メニューやタコライスなどの沖縄創作料理はみられない。ランチョンミートは奄美群島でもよく使うが、「ポーク」ではなく「ランチョンミート」、「チューリップハム」、「アメリカハム」などと呼ばれている。

薩摩料理との違い

薩摩料理も甘口の味噌を多用するが、
に大豆を少量使い、発酵後にすり潰して作る薩摩味噌に対して、奄美群島では主に米麹に大豆を多めに使い、すり潰さない粒味噌や、ソテツの実のデンプン(なり)と大豆で作る蘇鉄味噌を多用するので、風味に違いがある。ただし、汁用のすり潰す味噌(ゆわーしみす)もある。

塩蔵豚肉、ヤギ肉血液などの、薩摩料理では一般的でない家畜由来の食材も用いる。また、旧時は薩摩料理が内臓を食べないのに対して、奄美料理は内臓も煮物などにして食べる違いがあった[3]

薩摩料理ではサツマイモ芋焼酎黒酢を隠し味として使うことが多いが、いずれも奄美料理では使わない。サトウキビ由来の黒糖焼酎きび酢で代替されるので風味に違いがある。

薩摩で一般的な酒寿司、すもじ、こが焼き[4]飫肥の厚焼)、がね、焼き干しえび、いこもち、かるかんなどは奄美では一般的ではない。あくまきは竹皮包みではなく布袋で作るので柔らかい、鶏肉たたきは奄美市では一般的など、作り方の違いや地域毎の差がある食べ物もある。

調味料奄美大島のそてつ味噌

伝統的な奄美料理では地元の材料で作れる蘇鉄味噌や大豆の粒味噌が調味料、副食品として重要である。砂糖(さた)は黒砂糖の粉(さんざた)とざら目が使い分けられる。

醤油(しょい)- 薩摩料理と同じく、奄美大島産や鹿児島産の甘い甘露醤油がよく使われる。刺身は酢醤油でも食べる。

(す、し、しゅ) - 米麹・水を原料とする薩摩の黒酢や沖縄のもろみ酢などよりも、奄美ではサトウキビ(うぎ)の絞り汁を発酵させて作るキビ酢(うぎす、与論島で ふぎしゅ)が利用される。酢の物(なまし、膾)、酢味噌(すみす)に多用する。

薩摩料理でも刺身を食べる時に酢味噌や甘い醤油を使うが、沖縄料理、奄美料理でも旧来酢味噌が基本で、ダイコンなますを添えた[3]。現在は奄美でも薩摩の甘い醤油やわさびを付ける方が一般的となっているが、酢醤油で食べることも多い。

鰹節(かちゅぶし) - 薩摩の枕崎のものが有名であるが、奄美大島でもカツオの一本釣りから一貫して作られている。生節(なまり節)、味噌漬けなどの加工品も同様にある。

カツオの煎脂(せんじ) - 鰹節を作る際の煮汁を煮詰めたうま味調味料。北隣の十島村や薩摩の枕崎にもある。

豚油 - 豚の脂身を熱し、少しを加えて作るラード。作るときに残る油かすも煮物などに使う。

ましゅ(真塩、喜界島で「ます」) - 旧来、塩も群島内で作られてきた。沖永良部島では岩場に打ち上げられ、自然に濃縮された塩水を集めて塩を作った。黒糖作りと似た平釜で塩水を煮る方法の他、加計呂麻島などで天日干しの塩も作られている。

あーぐしゅ(唐辛子) - 奄美群島ではあまり使用しないが、沖縄の島唐辛子を与論島では「あーぐしゅ」と呼んで、練り唐辛子などにも加工している。

行事食明治時代初期、徳之島の上流階級の宴会

日本の本土(大和、やまとぅ)では、冬の正月が最も重要視される年中行事であるのに対して、奄美ではもともとは夏の稲の収穫行事である「三八月」(みはちがち)が最も重要な年中行事であった。現在は稲作があまり行われなくなり、本土の習慣が根付いて、冬の正月、夏の三八月がともに祝われる。地域差もあるが、各行事と関連する料理は以下の通り。

三月三日(さんがちさんち) - 桃の節句。喜界島ではうむむっちー(はったい粉入りの餅)を作る。

浜下り(はまうり) - 旧暦4月の午の日にタイモの煮物、舟焼き、塩豚の煮物、焼き魚、野菜の煮物、おにぎり[5]などを詰めた弁当を持って、浜で唄い遊ぶ。

行事 - 旧暦7月13日の夕方に墓参し、先祖の霊を迎える提灯に火を点す。床の間に祭壇を作り、庭には先祖の霊の従者が待つ場所として蘇鉄の葉とでむっ棚を作り、餅や煮物を供える。落雁(型菓子、かたぐゎし、しまっくゎし、むすこ)も作って供える。14日は精進料理を供え、食べる。15日には夕方に墓参し、集落で送り踊りをする[5]

三八月(みはちがち) - 新節、柴挿、嫩芽(土賀)の総称。考祖祭。

新節(あらせち) - 旧暦8月最初の(ひのえ)の日に行う収穫祭。みきを作り、赤飯(かしき、はしち)を炊き、火の神に供える。夕方は八月踊りを行い、集落内の家々の安全を願って踊って回り(家回り、やーまわり)、各家は料理と黒糖焼酎を用意して待つ。

柴挿(しばさし) - 新節から中7日経った(きのえ)の日に、家の軒にススキを刺し、畑にはの枝を刺し、八月踊りをする。

嫩芽、土賀(どぅんが) - 続く甲子(きのえね)の日。何もしない休息日。


八月十五夜(はちがちじゅうぐや) - 旧暦8月15日(中秋)の豊年祭。奉納相撲を取り、八月踊りを踊り、おにぎりや餅を食べる。

九月九日(くがちくんち) - 旧暦9月9日の家内安全、製糸の成功を祈ってみきを作る。

種おろし(たにうるし) - 奄美大島北部では、旧暦9月ごろ、高倉から種を下ろす前に、豊作への感謝と祈願のために餅を作って撒く。家回りをする場合もある。

年の夜(とぅしぬゆ、大晦日) - 旧来正月に備えてヤギニワトリなども屠殺されたが、最も一般的なのは黒豚で、ツワブキなどと味噌で煮て豚骨料理にする[5]。喜界島ではひるいっちゃーしー(にんにくの葉と豚肉と豆腐の妙めもの)が欠かせない。

正月(しょうがち) - 元旦に家族で三献(さんごん、さんぐん)と呼ばれる料理を食べる儀礼を行う。奄美大島では、家長の「おしょろう」の声で始め、一の膳のむちぬすいむん(赤い椀に入れた海老、蒲鉾シイタケ、ゆで卵などと餅の吸い物、むちんしる、雑煮)、二の膳(刺身)、三の膳のうゎーぬすいむん(黒い椀に入れた塩豚と大根の吸い物。


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