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出典検索?: "失脚"
失脚(しっきゃく)とは、指導的立場にいる人物が他からの圧力により指導的立場を離脱させられる行為のこと。主に政治用語として使われる。君主は廃位と称される。 通常、一度失脚した人物が再び指導的立場に復帰することは稀で、さらに複数回失脚するのはより稀である。これは権力を一度放棄することで、それまでその人物が持っていた人脈や情報ルートが一度に喪失されるためである。また、失脚した後、新政権や反対者によって殺害(死刑または暗殺)されるケースも少なくない。その次に多いのが幽閉や軟禁である。こちらは権力構成ルートが強固で、権力再掌握の恐れのある人物に対して行われる。ごくまれな例として、中国で毛沢東死後に最高指導者となり短期間で失脚した華国鋒が晩年まで中国共産党中央委員のポストを与えられていたように、失脚後も閑職をあてがわれてそれなりの地位を維持するケースがある。 明確な線引きがあるわけではないが、一般に「失脚」という言葉が用いられるのは、革命やクーデターといった政体そのものの変更ではなく、既存体制の枠組みが維持される中で、権力の座にあった人物がそこから放逐されるといったニュアンスである場合が多い。また、民主主義国家における現職候補が公職選挙で落選する場合は通常失脚と呼ぶことはない。 転じて、現代の企業でも同様のケースは多く見られる。特に社長や一族によるワンマン支配の企業が、クーデター的な経営刷新が行われたときや、トップに立っている本人の不祥事を契機に、前支配者が退任・引退させられるのも失脚と言われる。
概説
失脚した人物
ヨーロッパ
ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前44年、共和政ローマ)
グレゴリウス7世(1080年、ローマ・カトリック教会)
ハインリヒ4世(1105年、神聖ローマ帝国)
ダンテ・アリギエーリ(1301年、フィレンツェ共和国)
ニコラ・フーケ(1661年、フランス王国)
ピョートル3世(1762年、帝政ロシア)
マクシミリアン・ロベスピエール(1794年、フランス)
ナポレオン1世(1814年、フランス)
クレメンス・メッテルニヒ(1848年、オーストリア帝国)
ナポレオン3世(1870年、フランス)
ジョルジュ・ブーランジェ(1889年、フランス)
オットー・フォン・ビスマルク(1890年、帝政ドイツ)
セルゲイ・ウィッテ(1903年、帝政ロシア)
ニコライ2世(1917年、帝政ロシア)
レフ・トロツキー(1925年、ソヴィエト連邦)
ベニート・ムッソリーニ(1943年、イタリア)
ニキータ・フルシチョフ(1964年、ソヴィエト連邦)
アントニオ・サラザール(1970年、ポルトガル)
エーリッヒ・ホーネッカー(1989年、ドイツ民主共和国)
ニコラエ・チャウシェスク(1989年、ルーマニア)
ミハイル・ゴルバチョフ(1991年、ソヴィエト連邦)
スロボダン・ミロシェヴィッチ(2000年、ユーゴスラビア)
アジア
韓信(紀元前201年、漢)
董卓(192年、後漢)
大伴金村(540年、日本)
橘諸兄(756年、日本)
和気清麻呂(769年、日本)
道鏡(770年、日本)
菅原道真(901年、日本)
藤原伊周(996年、日本)
王安石(1076年、北宋)
岳飛(1141年、南宋)
源義仲(1184年、日本)
梶原景時(1200年、日本)
衛紹王(1213年、金)
和田義盛(1213年、日本)
安達泰盛(1285年、日本)
燕山君(1506年、朝鮮)
光海君(1623年、朝鮮)
田沼意次(1786年、日本)
徳川慶喜(1867年、日本)
大隈重信(1881年、日本)
康有為(1898年、清)
宣統帝・愛新覚羅溥儀(1911年、清)(1945年、満州国)