失われた映画
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ジョン・ウェイン主演の1936年西部劇『オレゴン街道(英語版)』
フィルムは全編が失われたと考えられているが、2013年に約40枚のスチル写真がコレクターによって発見された[1]

失われた映画(うしなわれたえいが、英語: lost film)とは、フィルムスチル写真などの作品を記録したメディアの所在が、映画スタジオアーカイブ、個人コレクションアメリカ議会図書館をはじめとする公共アーカイブのいずれにも確認できなくなっている長編ないし短編映画[2]。幻の映画(まぼろしのえいが)と称されることもある[3]

「失われたフィルム(ロスト・フィルム)」という言い回しは、長編映画などについて未編集版や別編集バージョンなど、それが制作されたことが知られていながら、もはや映像が残されていない削除シーン(英語版)などを、文字通りの意味で指すこともある。時には、失われた映画とされていた作品のコピーが再発見されることもある。フィルムが現存するものの完全な形ではない作品は、「フィルムが部分的に現存している映画」 (partially lost film) と称される。
状態ドロレス・コステロが主演した1928年の映画『テンダーロイン』。
ヴァイタフォンによる会話の場面を含む2作目の長編映画であった。サウンドトラックは現存するが、フィルムは失われたと考えられている。

20世紀のほとんどの期間、アメリカ合衆国の著作権法で定められた著作権の登録制度に基づき、すべてのアメリカ合衆国の映画作品について少なくともコピー1本をアメリカ議会図書館に保管されることが求められていたが、議会図書館はそうしたコピーを永続的に保持することは義務付けられておらず、1909年の著作権改正法(英語版)が定めるところにより、著作権にかかる保管物については、図書館がそれを必要としない限り、著作権を主張していた者に返却を求める権利があるとされていた[4]サイレント映画時代のアメリカ合衆国の映画は、失われた作品が現存するものよりはるかに多く、1927年から1950年までに制作されたトーキー作品も、おそらくはその半数は失われたと考えられている[5]
スチル写真

ほとんどの映画スタジオは、制作中のセットで大型のカメラを持ったスチルカメラマンが働いており、後で宣伝に用いることができるようなスチル写真を撮っていた[6]。高品質な印画紙のプリントは、大量に作成されて映画館に掲示されるものもあったし、数は少なくとも新聞や雑誌に提供されていたため、その中には失われた映画の映像イメージをかろうじて伝えることになったものもある。一部の作品、例えば『真夜中のロンドン(英語版)』では、大量の断片が残されていたため、スチル写真で記録された順番にしたがって場面を整序し、作品全体を復元することが可能になった。部分的に失われた映画について、新たなプリントを復元する取り組みにおいては、失われた部分に代えてスチル写真を挿入することがしばしば行われている。1984年ジョルジオ・モロダーが再編集して公開した『メトロポリス』では、主人公と入れ替わった労働者が車窓から「ヨシワラ」の光に負けてしまい、相棒が虚しく待っているシーンはオリジナルのフィルムが現存しないため、スチルで処理している。
フィルムが失われる理由

失われた映画の大部分は、サイレント映画や初期のトーキーであるヴァイタフォンの時代、おおむね1894年から1930年にかけての作品である[7]マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーション(英語版)は、1929年以前に制作されたアメリカ合衆国の映画の9割が失われたと推計しており[8]アメリカ議会図書館はサイレント映画の75%が永遠に失われたものと見ている[9]

サイレント映画が失われた最大の理由は意図的な廃棄であったが、これは1930年までにサイレント時代が終わった後、サイレントのフィルムが商業的にほとんど無価値なものと見なされたためであった。フィルム修復家のロバート・A・ハリスは、「初期の映画のほとんどは、映画スタジオによって一括して廃棄されるため、残らなかった。そうしたフィルムを救って保存しておこうという考えはどこにもなく、スタジオは空きスペースを必要としており、フィルム素材を保管しておくには金がかかり過ぎた」と述べている[10]

また、多くのフィルムが失われた理由には、1952年以前に製造されていた35mmフィルムネガフィルムや上映用プリント(英語版)の大半がナイトレートフィルム(ニトロセルロース製)であり、きわめて燃えやすかったこともあった。著しく劣化したり、不適切な方法で保管されると(例えば、日光で屋根が熱くなるような小屋に置かれるなど)、自然発火することもあった。いったん火災となれば、アーカイブされていた全フィルムが燃失することになる。例えば、1937年フォックス映画の保管庫火災では、1935年以前のフォックス・フィルムの全フィルムが失われた[11]1965年MGM映画の保管庫火災でも、数百本に及ぶサイレント映画や初期のトーキー作品のフィルムが失われた。

また、ナイトレートフィルムは化学的に不安定であり、年月の経過とともに粘り気を帯びた塊になったり、火薬に似た粉末になったりするなど、経年劣化しやすかった。その変化の過程は予測が難しく、低温、低湿度、十分な換気といった理想的な環境であれば、期間保存も可能であり、中には1890年代のナイトレートフィルムが良好な状態で保全されている例もあるが、それはごく一部であり、現実の保管環境は理想から程遠いものがほとんどであった。そのため、それよりずっと後年のものが、場合によっては20年ほどしか経っていなくても、修復不可能なほど劣化してしまうこともあった。ナイトレートフィルムに固着された映画が「保存されている」 (preserved) というとき、ほとんどの場合はそれが安全フィルムにコピーされていることを意味するか、より最近であればデジタル化されていることを意味しており、いずれの方法によるにせよ、画質の一定の劣化は避けられない。

イーストマン・コダックは、1909年春に難燃性の35mmフィルムの供給を始めた。しかし、当時のフィルムに柔軟性を与えるために用いられていた可塑剤は、あまりに早く蒸発して抜けてしまったため、フィルムはすぐに乾いてもろくなり、亀裂が入ったりパーフォレーションが破損したりした。結局、1911年の時点でアメリカの主要な映画スタジオは、旧来のナイトレートフィルムの使用に戻っていた[12]1940年代後半に品質の改良が進むまで、安全フィルムの使用は35mmフィルムより小さな規格である16mmフィルム8mmフィルムなどに限られていた。

1931年より前にワーナー・ブラザースとファースト・ナショナル映画(英語版)で制作されていたサウンド付きの映画作品の中には、サウンドトラックに別個のレコード盤を用いるサウンド・オン・ディスク方式であるヴァイタフォンによっていたため、失われるに至ったものもある。1950年代には、テレビ用に既存の映画作品を供給するシンジケートであるアソシエーテッド・アーティスツ・プロダクションズ(英語版)が、初期のトーキー作品から16mmフィルムのサウンド・オン・フィルム(英語版)方式による縮小プリント(英語版)を作り、パッケージとしてテレビに供給していたが、ある1本の映画作品に伴うしかるべきサウンドトラックのレコード盤の一部が失われていたようなことがあれば、その作品が生き残る可能性は大きく損なわれることになった。今日まで残されているサウンド・オン・ディスク方式の映画の多くは、そのようにして作成された16mmフィルムの縮小プリントのみによって伝えられている。1929年の映画『ブロードウェイ黄金時代(英語版)』。
ワーナー・ブラザースにとって3作目のテクニカラーによるカラー作品であったが、フィルムリール全10本のうち9本目が完全に残り、10本目は最後の数分間が欠けたものが残る。

トーキー、テレビ、さらにその後のホームビデオの時代が到来する以前、映画は、各地の映画館での興行が終わってしまえば、その後の将来にわたる価値はほとんどないと考えられていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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