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出典検索?: "夫婦善哉" トーク番組
蝶々・雄二の夫婦善哉
ジャンルトーク番組
放送期間1955年6月13日 - 1970年2月
放送局朝日放送
出演ミヤコ蝶々
南都雄二
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蝶々・雄二の夫婦善哉
↓
ミヤコ蝶々の夫婦善哉
ジャンルトーク番組
出演者ミヤコ蝶々
南都雄二
製作
制作朝日放送
放送
放送国・地域 日本
蝶々・雄二の夫婦善哉
放送期間1963年8月2日 - 1972年3月
放送時間金曜 22:30 - 23:00
放送分30分
蝶々・雄二の夫婦善哉
↓
ミヤコ蝶々の夫婦善哉
放送期間1972年4月 - 1975年3月30日
放送時間日曜 22:30 - 23:00
放送分30分
ミヤコ蝶々の夫婦善哉
放送期間1975年4月 - 1975年9月27日
放送時間土曜 22:30 - 23:00
放送分30分
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新夫婦善哉
ジャンルトーク番組
放送期間1987年
放送時間日曜 12:30 - 13:00
放送局朝日放送
出演桂春蝶
上沼恵美子
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『夫婦善哉』(めおとぜんざい)は、1955年6月13日から1975年9月27日まで朝日放送で放送されていた視聴者参加型のトーク番組である。
1955年6月から1970年2月までは同局運営のABCラジオでラジオ版が放送され、1963年8月2日から1975年9月27日まではABCテレビでテレビ版が放送。また、1975年3月まではTBS系列局で、同年3月末のネットチェンジ(いわゆる腸捻転の解消)以降はNETテレビ系列局で放送されていた。
この項目では、リニューアル版の『新夫婦善哉』(しんめおとぜんざい)についても記す。 この節には複数の問題があります。改善
概要
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大言壮語的な記述になっています。(2017年3月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2017年3月)
1955年6月13日、まだラジオでのみ放送を行っていたABCが当時人気の夫婦漫才コンビだったミヤコ蝶々と南都雄二を司会に据えてスタート。当初の正式タイトルは『蝶々・雄二の夫婦善哉』(ちょうちょう・ゆうじのめおとぜんざい)だった。番組は毎回一般の夫婦を招き、蝶々・雄二の2人が結婚生活の極意や新婚時代のエピソードを@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}絶妙な間で[独自研究?]聞き出すという形で進行。現在の『新婚さんいらっしゃい!』へと繋がる夫婦対談番組の先駆的存在として[独自研究?]人気を博した。 この番組の開始当時、司会の蝶々・雄二もまた実際の夫婦であったが、1958年に雄二の不倫がもとで「離婚」(法的に婚姻関係でなかったため、事実婚を解消)。しかし、その後も2人はコンビで司会を続け、かえって自分たちの結婚生活での体験を素直に話すことができるようになったせいか、よりリアリティのあるゲスト夫婦の体験談を聞き出しやすくなり[独自研究?]、多くの視聴者の共感を得た[要出典]。 1967年に雄二が長年抱えていた糖尿病の症状が進行し、入退院を繰り返すようになり、他のレギュラーの仕事(関西テレビ『ハイ!土曜日です』など)をセーブするようになったが、蝶々・雄二のコンビの人気を全国的に不動なものとしてくれたこの番組に対する雄二の想いは強く[要出典]、1972年夏に長期入院に入るまで司会を続けていた。 その後、雄二は番組に復帰することなく、1973年に48歳で死去。雄二が長期入院している間も、番組は『蝶々・雄二の夫婦善哉』のタイトルのまま蝶々が1人で司会を務めていたが、雄二の死去に伴い、『ミヤコ蝶々の夫婦善哉』と改題。蝶々1人の司会体制のまま放送は続けられた。 1975年のネットチェンジ後は、番組がそれまで行っていた日曜22時台での放送が困難となり、土曜22時30分からの放送へと移行した[1]。そうした番組編成上の混乱や、スポンサーの永大産業が経営上の理由から6月限りで降板し、一社提供から複数社提供へと移行したなどの理由も重なり[独自研究?]、蝶々の降板申し入れもあって[2]、番組は1975年9月をもって20年の放送(ラジオ時代を含む)に幕を下ろした。終了理由について本番組の三上プロデューサーは「夫婦善哉は蝶々さんと雄二さんの育てた子供のようなもの。蝶々さんの後任と言ってもどだい無理な話だし、それなら潔く終了しようということになった。6月に20周年を迎えたし区切りもいい」と話している[2]。なお、NETテレビ系列でのテレビ放送はわずか半年間だけだった。また、同年10月に開局を控えていた東日本放送では、9月中に行われていたサービス放送で最終回のみが放送された。 1987年にはリニューアル版として、ABCラジオで桂春蝶と上沼恵美子の司会コンビで『新夫婦善哉』がスタート。当時開場して間もなかった道頓堀の浪花座 いずれも日本標準時。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 当初は小野薬品工業がスポンサーに付いていたが、後期には永大産業が付いていた。末期には上記の通り、複数社提供となった。当時はP&Gなどが含まれていなかった。 1965年6月27日、ラジオ版・テレビ版とほぼ同じタイトルの映画作品『蝶々雄二の夫婦善哉』が東映系で公開された。併映は大川橋蔵主演、山内鉄也監督『主水之介三番勝負』。 内容は蝶々・雄二扮する白玉ぜんざい屋夫婦の夫婦生活の話で、ラジオ版・テレビ版とは無関係のように見えるが、劇中でテレビ版が映し出されるシーンがある。ただし番組は新録で、スポンサーは小野薬品でなく架空の会社である。 中田ダイマル・ラケット、かしまし娘、白木みのるといった関西の喜劇人たちが助演。「原案」として蝶々の名がクレジットされている。 同局で同じ視聴者参加型のトーク番組『新婚さんいらっしゃい!』が開始された当時、「番組の内容や趣旨が当番組と酷似している」として協賛社の小野薬品がクレームをつけたことがある。
離婚しても名コンビ
闘病しながら司会した南都雄二
雄二の死と蝶々のピン司会
番組の終了
新夫婦善哉
司会
ミヤコ蝶々 - 全期間出演。
南都雄二 - 番組開始から1972年まで出演。
テレビ版での放送時間
金曜 22:30 - 23:00 (1963年8月2日 - 1972年3月)
日曜 22:30 - 23:00 (1972年4月 - 1975年3月30日)
土曜 22:30 - 23:00 (1975年4月 - 1975年9月27日)
テレビ版におけるネット局
出典検索?: "夫婦善哉" トーク番組
朝日放送(製作局)
東京放送 → NETテレビ
北海道放送 → 北海道テレビ
青森テレビ
新潟放送[3]
信越放送
テレビ山梨
中部日本放送[3] → 名古屋テレビ
山陽放送 → 岡山放送
中国放送 → 広島ホームテレビ
山口放送 → テレビ山口 → 山口放送
瀬戸内海放送
テレビ高知 → 高知放送
RKB毎日放送 → 九州朝日放送
長崎放送
大分放送 → テレビ大分
宮崎放送
南日本放送 → 鹿児島テレビ
ほか[どれ?]
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映画
スタッフ
脚本:依田義賢
監督:マキノ雅弘
原案:ミヤコ蝶々
企画:俊藤浩滋、秋元隆夫
撮影:鈴木重平
音楽:八木正生
キャスト
利子:ミヤコ蝶々
白川忠太郎:南都雄二
綾子:丘さとみ
お由:中村芳子
おみつ:山乃美七子
正三:田中春男
お澄:笠置シヅ子
直助:藤山寛美
新公:小島慶四郎
真佐美:岡田千代
清子:園千雅子
日掛貯金の集金人:中田ラケット
料理学校の講師:中田ダイマル
喫茶店のレジスター:入江幸江
若い娘:正司花江・正司歌江・正司照枝
係官:佐々十郎
エッチな客:茶川一郎
時子:高橋漣
富子:富永佳代子
自転車の男:結城哲也
四郎:堺駿二
八郎:岡八郎
女:佐藤綾子・弥永和子・松代章子
権田:柳家金語楼
仲居:森美千代
店員:白木みのる
団地の女:牧純子
瓢吉:神戸瓢介
その他
脚注[脚注の使い方]^ その後、朝日放送制作の日曜22時台の番組は、2023年4月開始の連続ドラマ枠まで48年1か月途絶えた。
^ a b 週刊TVガイド 1975年7月18日号 p.23「蝶々さんと共に姿消す夫婦善哉」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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