太陽系儀(たいようけいぎ、英語: orrery)とは、地動説を基にした太陽系の模型である。中心に太陽を置き、歯車の回転によってアームに取り付けた惑星の模型を回転することにより、惑星相互の位置を再現する。 紀元前1世紀の哲学者キケロの著作『国家論』によれば、太陽と月、その他当時知られていた惑星の動きを予測する器械についての記述がある。これらの器械はアルキメデス(紀元前3世紀)が製作したもので、今日の太陽系儀のようなものであったことが窺える。また、キケロは友人のポセイドニオスが「最近」同様の装置を作ったという記録を残している。アンティキティラ島の機械 1901年に地中海に浮かぶギリシャのアンティキティラ島沖のアンティキティラの沈没船 ヨハンネス・カンパヌス (1220-1296) はTheorica Planetarum (太陽系儀)を建設した。ジョバンニ・デ・ドンディによる天文時計をカルロ・クローチェが復元したもの 1348年から1364年にかけて時計師のジョバンニ・デ・ドンディが天文時計「アストラリウム」を製作した。天動説の惑星理論に従って、月、太陽、水星、金星、火星、木星、土星の黄道上の位置を表示するものであった。時計自体は失われてしまったが、ドンディはその歯車列に関する完全な記述を残している[2][3]。天文時計(金星・水星側)、エーベルハルト・バルデヴァイン他、マールブルク=カッセル、1563-1568年 - 数学物理学サロン、ドレスデン - DSC08057 ヴィルヘルム4世 (ヘッセン=カッセル方伯)の宮廷では、1561年と1563-1568年に2つの複雑な天文時計が作られた。これらの時計は、4つの面を使って、太陽、水星、金星、火星、木星、土星、月のそれぞれの黄道上の位置や、カレンダー、日の出と日の入り、そして、天球儀で初めて、均時差を含む太陽の実際の位置を示す、アニメーション化された太陽のシンボルを備えた自動天球儀を備える[4][5]。時計は現在、カッセルの天文・物理キャビネット
歴史
古代
天動説版
1650年、P.シルレウスは太陽を惑星とし、水星と 金星が太陽の周りを回る衛星としたプラネタリウムを製作した[6]。 オランダの天文学者ホイヘンスは、1665年から1681年にかけてパリに滞在していたときに製作した機械の詳細を1703年に発表した。彼は365.242日の1年を表すのに必要な歯車列を計算し、それを使って主要な惑星の周期を作った[6]。 英国オックスフォードの科学史博物館
地動説版
英国ダービー博物館・美術館に展示されているジョセフ・ライトの絵画『太陽系儀の講義』(1766年頃)では、太陽の位置にろうそくが置かれ、自然哲学者の講義を聴く一団が描かれている。真鍮製の太陽系儀に入れられたろうそくが、この部屋で唯一の光源となっている。この絵に描かれた太陽系儀にはリングがあり、渾天儀のような外観となっている。これにより、日食を表現できるようになっている[10]。
18世紀において、小型の太陽系儀は迫力を欠いていた。18世紀末には複数の教育者達が、大型の天界を再現する装置を造った。アダム・ウォーカー(1730-1821)と彼の息子たちが製作した"Elaborate Machine" は全高12フィート、27インチ径のもので、垂直に立てられていて球体は巨大で目立っていた。その装置は説法に用いられた。ハーバード大学で1766年に使用されたベンジャミン・マーティンの太陽系儀
1764年、ベンジャミン・マーティンは新しいタイプの惑星模型を考案した。この模型では、惑星は真鍮のアームに乗せられ、一連の同軸状のチューブから伸びていた。