日本興亜損害保険株式会社
NIPPONKOA Insurance Company, Limited
種類株式会社
市場情報東証1部 8754
日本興亜損害保険株式会社(にっぽんこうあそんがいほけん、英: NIPPONKOA INSURANCE CO., LTD.)は、かつて存在した日本の損害保険会社である。通称、日本興亜損保。本社は東京都千代田区霞が関3丁目7番3号にあった。
2010年4月1日に損害保険ジャパンと経営統合し、NKSJホールディングス(当時)傘下に入った。
2014年9月1日に損害保険ジャパンを存続会社として合併し、損害保険ジャパン日本興亜となったのち、2020年4月1日に統合時の存続会社名であった損害保険ジャパンに商号を変更した。なおNKSJホールディングスは、損害保険ジャパン日本興亜の発足と同時に「損保ジャパン日本興亜ホールディングス」に商号を変更し、2016年10月1日に現在のSOMPOホールディングスへ再度商号を変更した。 2001年4月1日に日本火災海上保険株式会社と興亜火災海上保険株式会社が合併して発足し、2002年4月1日に太陽火災海上保険株式会社と合併した。1951年日本ビルディング、1977年日火ビルを合併。2001年興亜火災海上保険と合併し、日本興亜損害保険となった。(→損害保険)。 特定の金融グループに属さない独立系の保険会社であったが、三和銀行と親密でフィナンシャルワンに発足当初から参加していることなどから、現在はMUFG系とみなされることが多いが、日本興亜損保は現在も自らを独立系としている。太陽生命保険に加えて近年は明治安田生命保険とも親密である。 筆頭株主のサウスイースタン・アセット・マネジメントは損害保険ジャパンとの経営統合を要求し、統合で草刈場とされることを懸念した兵頭誠社長の留任に反対を表明した。このため自主独立路線を貫けるか、業界再々編の中で行方が注目されていた[1]。 世界的な金融危機による自動車保険の急激な契約減少と、三井住友海上火災保険などが経営統合するなど大手同業他社の経営規模が拡大することを受けて、2009年3月13日に株式会社損害保険ジャパンと経営統合に合意し、2010年4月1日に共同で株式移転して共同持株会社のNKSJホールディングスを設立した。 経営統合後は独自ブランドで商品を展開したが、2012年3月23日に、株式会社損害保険ジャパンと2014年上半期を目途に合併して「損害保険ジャパン日本興亜株式会社」となることを取締役会で決議して正式発表した[2]。この合併は2014年8月27日に金融庁から認可されて9月1日に実施された。当社は解散し、持株会社は「損保ジャパン日本興亜ホールディングス株式会社」に、グループは「損保ジャパン日本興亜グループ」に、それぞれ改称された[3]。
概要
沿革
1892年(明治25年)- 日本火災保険株式会社設立(初代社長:平瀬亀之輔)[注釈 1]。
1896年(明治29年) - 3月に日本海上保険設立(初代社長:広海二三郎)[5]。日本酒造火災保険株式会社設立。
1906年(明治39年) - 日本火災保険が、日本酒造火災保険株式会社を合併。
1912年(大正元年)- 帝国火災保険
1918年(大正7年)4月 - 中外海上火災保険株式会社設立。