太陽崇拝
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この項目では、神話としての「太陽神」について説明しています。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのアルバムについては「太陽神 (アルバム)」をご覧ください。
天照皇大神(春斎年昌画、明治20年(1887年))

太陽神(たいようしん、英語: solar deity[1][2])は、 太陽信仰の対象とみなし神格化したもの。目次

1 概要

2 太陽の消失

3 中国の神話

4 主な世界の太陽神

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

概要 アテンを崇拝するファラオアメンホテプ4世と彼の家族 エジプト神話の太陽神ラー ギリシア神話の太陽神ヘーリオス紀元前4世紀

古代より世界各地で太陽は崇められ、崇拝と伝承は信仰を形成した。

太陽神といえばギリシア神話エジプト神話に登場する男神が想像されるが、ブライアン・ブランストンを始めとする神話学者の中には、太陽神は男神よりも女神の方が主流であると論ずる向きがある。男神がギリシア神話やエジプト神話などの著名な神話に登場することが原因となり、太陽神=男神という解釈が生まれたというのである。「太陽=男=光」と「月=女=闇」の二元性は、オルペウス教グノーシス主義の思想を源とするヨーロッパ地方の説話に少なからず見受けられるが、例外として、太陽が女神で月が男神となっている北欧神話、バルト神話の存在は注目に値するものである。日本神話天照大御神も一般に太陽神・女神とされるが、対をなす月神月読命は性別が明らかでない(一般には男神)。ただし天照大御神については男神とする説があり、詳細は「天照大御神」を参照。

太陽崇拝は、単一神教から始まり唯一神教に終わるとされる。古代エジプト第18王朝のアメンホテプ4世(アクエンアテン)は、伝統的な太陽神アメンを中心とした多神崇拝を廃止し古の太陽神アテンの一神崇拝を行った。太陽神の乗り物としては、古代エジプトにおいては空を海に見立てた「太陽の舟」(ラーホルス)や、インド・ヨーロッパ語族圏では空を大地に見立てた「日輪の戦車」(ローマ神話ソル、『リグ・ヴェーダ』のスーリヤ、ギリシア神話のヘーリオス)がある。メソポタミア神話シャマシュは、青銅器時代の間、重要な役割を果たす。南アメリカにはインカ神話インティを代表とする強い太陽崇拝があった。
太陽の消失

「太陽の消失」は、世界の太陽神話共通のテーマとなっている。夜になると太陽が姿を消すこと(エジプト神話)、冬になると日照時間が短くなること、日食(日本・北欧神話)などといった、太陽にまつわる自然現象を説明するのに一役買っている。



日本神話では、須佐之男命の横暴に怒った天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に篭ってしまい、世界が暗闇になってしまう。天岩戸の神隠れで有名であり、日本の太陽信仰(天照大御神信仰)はBC7300年の鬼界カルデラ大噴火に起因すると考える説も存在する。


エジプト神話では、毎晩ラーは冥界ドゥアトを通り抜けていた。そこでアポピスは、ラーと彼の太陽の舟が毎朝東に現れるようにした。

北欧神話では魔狼フェンリルの眷属であるスコルが太陽に、ハティが月に追いつき一時食らいつく事で日食・月食となる。最終的にラグナロクにおいてはどちらも完全に飲まれる事になる。

中国の神話

他の多くの文化と異なり、中国では太陽や月を神格化して崇拝することはない。その尤もな理由としては、月を陰、太陽を陽とみなす、中国の文化における道教易経の強い影響力にあると思われる。詳しくは陰陽思想を参照されたい。

中国神話によると、初め10の太陽がにあった。世界が非常に熱かったので、大地には何も生えなかった。そこで、后?(こうげい)という弓の達人が9つの太陽を射落とし、現在に至るという。別の伝承では、日食は天の狼が太陽を食べることで引き起こされるとされ、日食の間、鍋や釜を叩いてこの「狼」を追い払う習慣が中国にあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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