太陽フレア(たいようフレア、Solar flare)とは、太陽における爆発現象。別名・太陽面爆発[1]。
太陽で不定期に発生する爆発的な増光現象で、小規模なものは1日3回ほど[2]、地球に影響を与えうるほど大規模なものは数年に一度程度発生している[3]。大きな太陽フレアは白色光でも観測されることがあり、白色光フレアと呼ぶ。太陽の活動が活発なとき(特に太陽極大期)に太陽黒点の付近で発生する事が多く、こうした領域を太陽活動領域と呼ぶ。
「フレア」とは火炎(燃え上がり)のことであるが、天文学領域では恒星に発生する巨大な爆発現象を指している。現在では太陽以外の様々な天体でも確認されている。一例として、日本の国立天文台が運用するアルマ望遠鏡がプロキシマ・ケンタウリで観測した[4]。 太陽を観測していると、時折太陽表面の一部で瞬発的な増光が見られることがある。これが太陽フレアである。太陽フレアは観測的には「数分から数時間のタイムスケールで起こる多波長の増光現象」と定義される[5]。多波長の増光とは具体的に、電波、マイクロ波、Hα線、極端紫外線、軟X線、硬X線、ガンマ線における増光が見られる。ただし、光の強度を時間の関数で示した図(ライトカーブ)の形状は波長ごとに大きく異なっている。これはそれぞれの波長の光を放出する物理メカニズムが異なるためである。 物理の立場からは、太陽フレアは太陽周囲の磁場エネルギーが急速に光・熱・非熱的な粒子のエネルギーに変換される現象であると理解されている。そのエネルギー解放量は1029 ergから1032 ergであり、水素爆弾10万?1億個のエネルギーに相当する[6]。太陽系内で起こりうるエネルギー解放現象としては最大のものである。SDO/AIA 131Aで撮影されたフレアループ(WEI LIU et al. 2013
概要2023年1月11日に発生したXクラスのフレアの動画。太陽円盤左側の縁で爆発的な増光が見られる。SDO/AIAの131Aで撮影。
太陽フレアに伴って形成される特徴的な構造物としてフレアループがある。フレアループは大きさ1?10万km程度のループ状の磁力線にプラズマがまとわりついたものである。フレアループは数千万度の温度に達し、熱的な軟X線放射により輝く。よくある誤解として、太陽フレアを"太陽の内側からプラズマが噴き出してくる現象"とイメージされることがあるが、実際は逆で、後述の磁気リコネクションにより上空からプラズマが降り注ぐことでフレアループのような構造物が形成される。
太陽フレアに伴って多量の非熱的粒子が加速されていると推定されており、これらの高エネルギー粒子が硬X線放射やガンマ線放射を引き起こすと考えられている。このような非熱的粒子の加速機構、加速場所、輸送については分かっていないことが多く、研究の段階である(後述)。
太陽フレアはしばしば衝撃波やプラズマ噴出(太陽風)を伴い、時おりそれらは地球に接近して、突然の磁気嵐を起こすことがある[7]。アメリカ航空宇宙局(NASA)によると、2012年7月には巨大な太陽フレアに伴う太陽風が地球をかすめた[8][9] 。次の10年間に同程度のフレアが実際に地球を襲う確率は12%であると推定される[8]。 太陽フレアの初めての観測は、1859年の太陽嵐の際にイギリスの天文学者リチャード・キャリントンとリチャード・ホジソンによって行われた。彼らは白色光の連続線によってフレアを観測した。 その数年後、太陽は彩層で発生するHα線で広範囲に研究されるようになり、太陽フレアは頻繁に観測されるようになった。この頃に、太陽フレアに伴う惑星間空間へのプラズマ塊の放出や、Blast waveの発生といった現象が報告された[10]。 第二次世界大戦中の1942年、イギリスの物理学者ジェームス・ヘイが軍事用レーダーの運用中に太陽フレアによる電波放射を捉えた[11]。ほぼ同時期に、S.E.Forbushが大規模フレアに伴って地上の宇宙線強度が増加することを発見した。このことは、太陽フレアが単に熱的なプラズマだけで閉じている現象ではなく、高エネルギー粒子の生成にも関わる現象であることを意味する。 1950年代後半になると、気球やロケットによる硬X線(> 10 keV)での太陽の観測が可能になった。1958年、Peterson, L.E.とWinckler, J.R.により、初めて硬X線によるフレアの観測がなされた[12]。その後、日本から打ち上げられたようこうやひのでといった衛星により、より高精細のX線フレア観測ができるようになった。 2010年にソーラー・ダイナミクス・オブザーバトリーが打ちあがると、太陽の全球観測ができるようになり、太陽フレアを空間的・時間的に高分解した観測が可能となった。
観測史
物理的な理解太陽フレアの統一モデルの概略図(Shibata et al. 1995