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太陽がいっぱい
Plein Soleil
監督ルネ・クレマン
脚本ポール・ジェゴフ
ルネ・クレマン
原作パトリシア・ハイスミス
製作ロベール・アキム
レイモン・アキム
出演者アラン・ドロン
マリー・ラフォレ
モーリス・ロネ
音楽ニーノ・ロータ
撮影アンリ・ドカエ
編集フランソワーズ・ジャヴェ
製作会社ロベール・エ・レイモン・アキム
パリタリア 他
配給 ティタヌス
新外映配給
公開 1960年3月10日
1960年6月11日
上映時間118分
製作国 フランス
イタリア
言語フランス語
イタリア語
英語
配給収入1億2441万円[1]
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『太陽がいっぱい』(たいようがいっぱい、原題:Plein Soleil)は、1960年のフランス・イタリアの犯罪映画。パトリシア・ハイスミスの小説『太陽がいっぱい』(旧名『リプリー』)を原作とした、ピカレスク・サスペンス作品[2]。
ルネ・クレマン監督の代表作の一つ。音楽はニーノ・ロータで主題曲は有名になった。主な出演者はアラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ[3]。この作品はアラン・ドロンがフランスだけでなく、世界的なスターになるきっかけとなった作品である[注 1]。 ルネ・クレマン監督は『鉄路の斗い』(1945年)で第1回カンヌ国際映画祭・国際審査員賞および監督賞を受賞し、その後『海の牙』(1946年)、『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)など、社会性の強い作品を撮り続けてきた。 1959年2月、ミシェル・ボワロン監督・アラン・ドロン主演の『お嬢さん、お手やわらかに!』が公開。クレマンは同作品を見て、ドロンに主役のオファーを出したという[4]。 同年8月3日から10月22日にかけて、イタリアのナポリ県、イスキア島、プローチダ島、ローマなどで撮影が行われた[5]。 撮影が行われていた頃、日本では情報は伝わっており、同年9月22日発売の『ヒッチコック・マガジン』11月号に掲載された秦早穂子、双葉十三郎、中原弓彦らによる鼎談において「パトリシア・ハイスミスの『太陽のただ中』」という言葉ですでに語られていた[6]。新外映で買付を担当していた秦は同年秋にフランスへ戻った。そして音楽もセリフも入っていない10分ほどのラッシュを見て「断然買いたい」と思ったという。しかし会社の役員の反対を受け、別の配給会社が先に買い付けを決定した。結局、新外映が配給することになると、秦は「太陽のただ中」などという文学的なタイトルはやめようと主張し、「太陽がいっぱい」となった[7][8]。 1960年3月10日、フランスで公開された。同年6月11日、日本で公開された。 1999年にマット・デイモン主演で、映画『リプリー』が公開された。これは本作の再映画化だが、原作により忠実に映画化されている。しかし後半の展開が微妙に違っている[9]。
解説
あらすじアラン・ドロン、マリー・ラフォレエルノ・クリサ
ローマの街角のオープンカフェで話をする青年が二人。アメリカから来た大富豪の息子フィリップと貧しく孤独な青年トム・リプリー(フランス語・イタリア語風の発音は「リプレー」)[注 2]。
フィリップには婚約者のパリ娘マルジュがおり、イタリアではナポリに近い漁村モンジベッロにマルジュと過ごすための愛の巣を所有している。その近くのマリーナには立派なセーリング・クルーザー(船内泊もできるセーリング・ヨット)も所有し、それに「マルジュ(号)」[注 3]と名づけてもいる。マルジュは画家フラ・アンジェリコについての記事を執筆中である。フィリップはマルジュの傍にいるためにイタリアで遊んで過ごしている、というわけであった。そして自由奔放なフィリップは、今回はマルジュをほったらかしにして、トムと二人きりで飛行艇に乗りローマに遊びに来たのだった。たとえばフィリップとトムは、街頭で視覚障害者と出くわすと「その白い杖(視覚障害者用の杖)を俺に売れ。帰りのタクシー代があれば杖はいらないだろう。」などと傲慢なことを言って、2万リラも払ってそれを買い取ってしまったり、たまたま出会った歩行者の中年女性を盲人のふりをして誘惑し一緒に馬車でローマの街を乗りまわしてその途中でその女性にキスしまくったり、と自由奔放な行動をして楽しむ。
フィリップはトムを見下している。父親からフィリップをアメリカに連れ戻すよう依頼を受け、連れ戻せば報酬として5000ドルもらえる約束でアメリカから来たトムではあったが、フィリップのほうはイタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、全く帰国する気はなく謝礼金を受け取ることが出来ないトムは手持ちの金がなくなってしまい、フィリップの金のおこぼれをあてにして彼と行動を共にせざるを得なくなる。