太田光
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この項目では、お笑いコンビ「爆笑問題」のメンバーについて記述しています。プロ野球選手の同名の人物については「太田光 (野球)」をご覧ください。

映像作家の「太田光海」あるいは建築業でモデル・役者の「太田光る」とは別人です。
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 COOL CHOICE LEADERS AWARD表彰式(2017年)
本名太田 光
ニックネームピーちゃん、ぴかり、アーリン、恐妻家、埼玉の山猿、埼玉のネクタリン、テレあさお
生年月日 (1965-05-13) 1965年5月13日(59歳)
出身地 日本 埼玉県入間郡福岡町
(後の上福岡市、現・ふじみ野市
血液型O型
身長170 cm
言語日本語
方言首都圏方言
最終学歴日本大学芸術学部(中退)
出身太田プロスカウト
コンビ名爆笑問題
相方田中裕二
芸風漫才コント(ボケ)
立ち位置右
事務所タイタン
活動時期1988年 -
同期月亭方正
さまぁ?ず
など
現在の代表番組太田上田
太田光のつぶやき英語
他の活動司会者、文筆家
配偶者太田光代
公式サイト爆笑問題|TITAN
受賞歴
1993年日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞受賞
2006年 芸術選奨文部科学大臣賞
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太田 光(おおた ひかり、1965年〈昭和40年〉5月13日 - )は、日本お笑いタレント司会者作詞家文筆家川柳作家。お笑いコンビ・爆笑問題ボケ、ネタ作成を担当。相方は田中裕二埼玉県入間郡福岡町(上福岡市を経て、現・ふじみ野市)出身。芸能事務所「タイタン」所属。
概要

1988年に田中裕二とのお笑いコンビ「爆笑問題」のメンバーとしてデビュー[1]。荒唐無稽且つ過激なボケや政治・哲学的な言動で注目を集める[2][3][4]。漫才のネタ作りを担当している他[5]、コントや小説の執筆[6][7]、作詞や川柳の作成及びイラストの作成などのセンスも評価されている[8][9][10][11]
略歴

父親の三郎は建築士で、書道も嗜んでおり文学お笑いにも興味を持っていた[注釈 1]。「光」と命名したのは父三郎で、正しい「right」と明るい「light」という意味を掛けて「ライト」と名付けたかったが、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと同じになるのでそれは避けて「光」にしたといい、光り輝くように、という意味も込められている[12]。母親の瑠智子は女優志望で、俳優養成所に所属していたことがあり、光は幼少時より母に連れられて舞台を観にいっていた。女優志望であった母は発声が得意だったため寝る時には必ず光に本を毎晩読み聞かせており、光は楽しみにしていた。そのことがきっかけで自ら児童文学を読むようになり、父親も文学に興味があるため家には大量に本があり、光が欲しがるならば本を買い与えた。

1972年、上福岡市立第二小学校(現・ふじみ野市立上野台小学校)に入学し、1975年に上福岡市立第六小学校(現:ふじみ野市立元福小学校)へ転入、1978年3月同校卒業。同年4月上福岡市立第二中学校(現:ふじみ野市立葦原中学校)に入学、1981年3月同校卒業。同年大東文化大学第一高等学校入学、1984年3月同校卒業[注釈 2]。同年4月[13]日本大学芸術学部入学、1985年に中退[14](『太田光自伝』では1986年がやめた年としている[15]。また、『三三七拍子』では退学手続きをしていないので除籍と書いている[16])。

日本大学芸術学部演劇学科で田中裕二と知り合う。二人で1988年3月に爆笑問題を結成し、現在に至る(→爆笑問題#過去#出演)。

1990年9月26日、当時同じ事務所(太田プロダクション)だった元芸人でタレントの松永光代(現在のタイタン社長・太田光代)と結婚。太田の一目惚れだった。恐妻家であり、豪快な妻との奇妙な結婚生活はエピソードに事欠かない[17]
人物・エピソード「爆笑問題#芸能活動」も参照
影響を与えた人物

父・三郎からは「落語文楽、人を楽しませること」を教わり、前述の通り本の読み聞かせをしてくれた母・瑠智子からは「演劇や小説や物語の楽しさ」を教わったといい、「本当につくづく、親父とお袋に生き方を教育されました」と感謝の念を母の告別式で喪主として挨拶をした際に話している[18]

自身の人格形成に影響を与えた人物としてビートたけしカート・ヴォネガット立川談志植木等桑田佳祐チャールズ・チャップリンといった6人の名前を挙げている[19]。各人物との交流や自身の芸風・作品に与えた影響については後述する[19]
芸風

基本的には漫才を制作しているが、活動初期および2016年のタイタンライブ開始から20周年を記念したライブや2018年の爆笑問題の単独ライブ『O2-T1』では自身の脚本によるストーリー性を持ったコントも演じられている[20][21]。このこともあり、お笑い芸人がトップクラスになるとネタをやらなくなる風潮に対しては厳しい見解を示しており、「芸人として逃げ」と評し批判している[22]

非凡な才能や知的なイメージと後述したお笑いに対する真摯な姿勢もあって芸人・表現者としての評価は高いものの、テレビ番組やラジオ・ライブなどの公の場に出演する際には話を脱線させたり、無鉄砲な言動・行動・ボケ・意見をすることが多く、毀誉褒貶の激しい人物でもある[23][24]。それが批判されることが多いにもかかわらず、あまりにもそうしたことを繰り返すため、「バカッター芸人」とも呼ばれている[24]。それゆえに自身の過激な言動・行動が原因でネット上で非難されたり、知的なイメージとのギャップを共演者から嘆かれたり[25]、妻の光代から叱責されることもよくあり[26][27][28]、自身のラジオでたびたび反省の弁を述べることもある[29]。漫才や雑誌の連載で他人の失言を批判する発言やボケをすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある[30]。また、くりぃむしちゅー上田晋也からは「あんたが売れた理由がまったくわかんない」「あんたから言論の自由を奪いたい」と冗談交じりに言われたこともある[31][32]。太田はこれらの振る舞いや自分の意見を番組で述べることについて「自分は憧れているビートたけしとは別物である」といった思いの表れであることも述べている[24]。ただし、情勢や番組の内容によってはおとなしくしたり真剣に話すなど芸風を使い分けている[33][34]。それゆえに神田愛花からは「太田さんは、本当はいい人なのに盛り上げようとして無理してるのでは?」と指摘されている[35]

漫才で時事ネタを扱う理由として「ネタがつきないから」「社会に対して言いたいことなど何もない」「私のネタにはメッセージなどない。ウケればそれでいい」と述べている[36]。爆笑問題の漫才を「風刺」として捉える見方があることについては、硬軟幅広くネタを取り入れ、且つ太田のボケには下記したとおりナンセンスなものも含まれているため「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は1個も社会風刺してないことがわかるよ」とコメントしている[37]

古舘伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している[38]

お笑い評論家のラリー遠田は、爆笑問題の漫才における太田のボケには、「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており[2]、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している[3]

フリートークでは「見ている人に嘘をつかない」スタンスをとっており、水川かたまり空気階段)のようにこの姿勢を見習っている芸人もいる[39]
ネタ・小説の創作

漫才のネタ作りは田中や作家を交えて行われており、ネタになるニュースの素材やアイディアの提供は田中や作家が行い、ボケは太田が考え、一通りネタが揃うと後述の通り太田がパソコンでまとめている[5][40]

台本や原稿は一人になってからパソコンを使って書いており、このことが連載の中でネタにされる場合もある[40][41]

自身の小説の作風はカート・ヴォネガットの影響が強いとされ、SFでありながら、社会や政治などあらゆるものを組み込んで茶化していく世界観が共通している[42]。一方でメルカリマガジンに掲載された短編小説『がらくた』のように実体験を元にした作品も存在する[43]

小説新潮1997年12月号では近未来SF短編『終末のコメディ』が掲載されている。内容は原因不明の伝染病が流行した世界で、テレビの中のコメディアンがボケ続け、視聴者に外出することを呼びかけるものである[44]

2010年に刊行された短編集『マボロシの鳥』では寓話や童話、SFなどの要素が散りばめられた9つの物語が収録されている[45]


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