太平洋ひとりぼっち
[Wikipedia|▼Menu]

『太平洋ひとりぼっち』(たいへいようひとりぼっち)は、海洋冒険家堀江謙一1962年に出版した手記および、それを原作とする1963年公開の日本映画
書籍

1962年、堀江謙一は約3か月かけて小型ヨット「MERMAID(マーメイド)」で太平洋単独無寄港横断に成功した。本作はこの航海中の出来事などをまとめた手記である。1962年に文藝春秋新社(現・文藝春秋)から「ポケット文春」の1作として出版されベストセラーとなった。その他の再刊・新版等は以下。

あかね書房 1965年(少年少女20世紀の記録 24)

角川文庫 1973年

ちくま少年文庫 1977年

ぐるーぷ・ぱあめ 1989年(地球時代選書 1)

福武文庫 1994年

舵社 2004年 ISBN 978-4807211210

オムニバス収録

戦後日本思想大系 16(筑摩書房 1969年) - 抄録

少年少女世界の名作 51 日本編7(小学館 1974年)


外部リンク(書籍)

太平洋ひとりぼっち 舵社

映画

太平洋ひとりぼっち
監督
市川崑
脚本和田夏十
原作堀江謙一
出演者石原裕次郎
浅丘ルリ子
田中絹代
音楽芥川也寸志
武満徹
撮影山崎善弘
編集辻井正則
製作会社石原プロモーション
日活[1]
配給

日活[1]

Herzog-Filmverleih[2]

Connoisseur Film Ltd.[2]

石原インターナショナル[2]

公開

1963年10月27日[3]

1963年[2]

1964年4月15日[3]

5月10日(17th CFF)[3]

9月23日(NYFF)[3]

1967年4月[3]

2003年1月27日(Febiofest)[3]

2019年8月31日(HFA)[3]

上映時間97分(国内版)、111分(海外版)
製作国 日本
言語日本語
テンプレートを表示

映画版『太平洋ひとりぼっち』(たいへいようひとりぼっち)は、1963年10月27日に公開された日本映画カラー、シネマスコープ(2.35:1)。監督:市川崑、主演:石原裕次郎(この組み合わせは本作が唯一である)。石原プロモーションによる映画製作第1回作品。

原作出版の翌年に製作・公開された。石原扮する「堀江をモデルとした青年」が兵庫県西宮を出港しサンフランシスコに向かう航海の中で、出発までの出来事を回想しつつ、孤独との戦いや、飲料水の枯渇・台風・無風による立ち往生などのアクシデントを乗り越えて、無事サンフランシスコに到着するまでが描かれる。米国版のタイトルはMy Enemy, the Sea[4] または Alone on the Pacific[3][注 1]
製作

市川崑は、本作の企画者でもある主演の石原裕次郎から監督を打診され、引き受けた[5]

ロケーション撮影は、静岡県下田アメリカ合衆国ハワイおよびサンフランシスコ[1]で行われた。撮影スケジュールを短縮するため、撮影用の小型ヨットを2艘造り、1艘を先にサンフランシスコへ船便で送って、日本国内での撮影パート終了後にスタッフが航空機で渡米して米国ロケをするという進行態勢が組まれた[5]。サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジでの俯瞰撮影は、事前に許可を取ったカメラマンが橋桁の頂上に登って撮影している[5]

史実同様に撮影用の小型ヨットにエンジンを取り付けずに撮影した。このために風に負けてズレ動くといった撮影トラブルが絶えず、無風状態を撮影するためにスタッフ5、6人で重石のついたロープを舳先に取り付けるなどの対応を取った。上述のゴールデンゲートブリッジでのロケでは、偶然風が吹いたため、市川は望むとおりの撮影が出来たと回想している[5]

特殊撮影は当時設立間もない円谷特技プロダクションが担当した。本作は同社が初めて本格的に特撮を手掛けた作品である[6][7][8]。同プロダクション社長の円谷英二は、本作品のためかつての弟子であった川上景司高野宏一を他社から呼び寄せた[8]

本作は、国内上映版と、ニューヨーク映画祭用に再編集された海外版の2種類が存在し、いずれも市川自身が手を加えて編集している。ただ、海外版のオープニングタイトルについては関与していない。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:58 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef